物申す人となる それが誰であっても
本日、会社へ戻ったら当社駐車場の目の前の道路のはじからはじまで大きな車が5台ほど占拠しているわけです。なんでも撮影らしいですが...
大きめの車のため、道路幅5mもない道路では何度も切り返しをしないと入れられそうにないです。そこで考えました、
「考えてみればなぜ俺が不法に道路に何台も車を停めている奴らのためにそんなことしなくちゃいけないんだ」
かなりストレートに伝えました。俺に言わせればそんなところに何台も駐車すれば(道路にね)駐車場の出入りができなくなるくらいのことに気がつかないということにある意味、驚き、感動(皮肉)すらおぼえました。
自分がされて嫌なこと、頭にくることは誰かにしない、自分がされて嬉しいこと、助かることは率先的に行動する。そんなタイプの俺からしてみればそうとう頭にくるわけです。
テレビ局名や番組名を聞いたらまぁ誰でも知っているものですが、そんなことは俺には関係ないわけで
相手が誰であろうと言うことは言う。我慢する筋合いのものではないので。
いろいろ言ったのですが
「お前らのテレビ業界では常識かも知れないけど、俺には非常識!」
※原文まま
もう会うことはないだろうし、番組をみることもないでしょうし、俺にとってはどう思われようが「関係ねー」なのです。そういえば以前は市議会議員選挙があった時もそのようなことがあったな
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