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坊ちゃん文学賞2019 応募作品

幸福カクテル


「あれ? ユウキじゃん!」
 愛媛県松山市のバー「スペース」でお酒を嗜んでいた僕は、その聞き覚えのある声にひどく動揺した。なぜなら僕の名前を呼んだその男は、僕の一番苦手な人種だったからだ。
「ん? 俺だよ、庄司だよ」
「あ、ああ……吉良か」
 と、今思い出したように装う。
「何だよ、久しぶりだな」
 と、まるで予約席のように自然な流れで僕の隣に座る吉良庄司。思わず僕は席を少し離した。
「お前ここ来るんだな、知らなかったわ」
「そっちこそ」
「え? だって俺は」
 と、何か言いかけた時、バイトの女子大生の櫻井美香が裏の厨房から顔を出す。女子アナのような清楚な雰囲気の彼女は、今一番気になる存在だ。
「いらっしゃいませ!」
「よぉミカちゃん、久しぶり」
「お久しぶりです! 一人で珍しいですね」
「ミカちゃんに会いに来たわ」
「またまた! 奥さんいるくせに」
 と、既婚者のくせに相変わらずチャラさ全開のコイツに、そして美香ちゃんの方もまんざらではない様子に、ただただ嫌気が差す。
「そういえば兄貴は?」
「翔さんなら買い出しに行きましたよ」
「え、あ、兄貴?」
 思わず変な声を出してしまった。ビールも少し口から出た。
「おう、ここの店長、俺の兄貴よ」
 今年一番の衝撃で何も言葉が出ない。ビールは出てしまったが。まさか尊敬する翔さんの弟がコイツだったとは。月とすっぽんとは、まさにこのことだと思った。いや、もしかしたら庄司なりの渾身のボケかもしれない。全く笑えなかったが。ボケであってほしい、そう願った。
「あれ? お二人は知り合い?」
 と、美香ちゃんが不思議そうに尋ねる。
「うん、中学の同級生」
 と、答えると同時に庄司が答える。
「俺のパシリよ」
 と言われ、咄嗟に否定するが、紛れもない事実だったから更に動揺する。このすっぽん野郎のデリカシーのなさはどうやら今も昔も変わらないようだ。そして、焼きそばパンを何度も買わされた苦い過去を思い出しつつ、苦いビールを黙々と味わう僕に、庄司が笑って答える。
「ウソウソ、親友に決まってんじゃん!」
 と、冷たく突き放したかと思えば、優しくして距離をグッと近付ける。昔テレビで観たDV男のやり口と同じだと思った。その時、ガランとお店のドアが開く。
「ごめん、遅くなった」
 店長の吉良翔はジュースやお酒が入ったビニール服を持ちながらカウンターに入る。
「遅えぞ、兄貴」
「ショージ、久しぶりだね」
 どうやら兄弟であることはボケでも何でもなく、ただの事実のようだ。
「おう、後で3人連れが来るから」
「またミカちゃんにちょっかいかけに来たのかと思ったよ」
「まぁそれもあるけどな」
 と、吉良兄弟の会話をボーッと眺めながらビールを飲む。兄弟がいない僕にとって新鮮で、不思議な光景だった。目が合った翔さんが口を開く。
「ユウキくん、紹介するよ、俺の弟」
「あ、さっき聞きました」
 と答えると、庄司が僕を指差しながら、
「コイツ、中学の同級生だよ」
「え、そうなの?」
「まぁ俺のパシリだけどな」
 と、数分前に全然ウケなかったボケを被せて、またスベる庄司。まるで僕までスベったようで不快感が更に増す。スベり知らずのクソ野郎が口を開く。
「そういえばお前、今日ひとり?」
「え? そうだけど」
(いや、隣に座る前に聞けよ……)
「お前って中学ん時から友達いないよな? 今も友達いないの?」 
 そうだ、思い出した。これがコイツの学生時代からのやり口だ。おいしくイジったように見せて、相手を平然と見下し、笑いは取れないのに、マウントはしっかりと取る。そして土足で僕の心を颯爽と駆け抜ける。
「どうせ彼女もいないんだろ?」
「どうせ、って何だよ、どうせって」
「まさかまだ童貞?」
「童貞ですが、何か?」
「え、童貞なんだ……」
 美香ちゃんが露骨に引いていた。その様子を見て、変な汗が出る。
「まぁ俺も実質、童貞みたいなもんだから大丈夫だよ」
 翔さんの意味不明なフォローに少し救われた気がした。変な汗は止まらないが。
「ミカちゃんも処女?」
 庄司がセクハラ丸出しの質問をブッ込んでくる。軽蔑しながらも、自分には絶対に出来ない芸当で嫉妬する。
「いや、処女なワケないでしょ!」
(え……)
 美香ちゃんの正直すぎる返しに場が沈黙する。あの庄司でさえ沈黙する。
「そ、そういえばお前、仕事は何やってんだよ」
 空気を察してか、話題を自然に切り替える庄司。
「まぁネット関係だよ」
 国立大学を卒業してまでフリーターとも言えず、ネット関係と誤魔化す。実際、微々たるものだが、ブログで収入も得ているからウソはついていないが。
「すげぇな! 頭良かったもんなお前。どうせ稼いでんだろ? ネットなら」
「いや、どんな偏見だよ」
 と、思わずツッコんだが、頭が良かったと褒められたこと自体は悪い気がしなかった。
「まぁ、収入は全然よ」
「ふ〜ん、月どれぐらい?」
 久しぶりに会ってしれっと月収を聞くコイツのガサツっぷりには、もはや感服する。ただ、月十五万前後と言えばまたマウントを取られるから誤魔化すことに。
「さあ? 毎月変動するから」
「なあ、頼むからちょっと分けてよ」
「いや、何でだよ」
 生活するだけでギリギリだわ、そしてお前に渡すぐらいなら美香ちゃんに渡すわ、と心の中で呟く。翔さんが久しぶりに口を開く。
「ショージは仕事の方どうなの?」
「ぼちぼち。今月は二十五万くらいかな」
「いいじゃん! シャンパン下ろしてよ」
「いや、ふざけんなよ」
 と、二人の会話を聞きながらふと思った。正直に答えなくて良かった、と。
「まぁお前も仕事ばかりしてないで、結婚でもしろよ」
 と、更にしつこくマウントを取ってくるから、痺れを切らしてこう言い返す。
「結婚して幸せ?」
「あ?」
「結婚して人生変わったってよく聞くけど、今の時代、離婚率も三割でしょ、独身で幸せそうな人もいっぱいいるよ。でも、結婚して本当に幸せ?」
 さっきの美香ちゃんの非処女発言よりも場が沈黙する。庄司が冷静な表情になり、口を開く。
「いや、そういうことじゃ」
 プルルと庄司の電話が鳴る。
「あ、連れから電話。ちょっと外出るわ」
 と、庄司が逃げるように店から出た後、翔さんが口を開く。
「そういえばミカちゃん、八時からの予約の準備よろしくね」
 了解です、と二階に上がる美香ちゃん。翔さんが空いたグラスをチラッと確認する。
「ユウキくん、もう一杯ビール飲む?」
「あ、でも、一杯で帰ろうと」
「いいよ、二杯目は奢ってあげるよ」
「え? いいんですか?」
「よく来てくれるし、それに、さっき弟が失礼なこと言ってしまったお詫びにね」
「あ、ありがとうございます」
 翔さんのさりげない気遣いが心に沁みた。この兄弟はやっぱり月とすっぽんだと思った。翔さんからビールを渡される。
「どう、ブログの調子は?」
「いや、全然ですね」
 ボーッとグラスを見ながら、呟く。
「正直、この先どうしようか悩んでます。周りがどんどん次のステージに行ってるのに、僕だけ同じレーンをグルグル回っているみたいで」 
 翔さんが少し真剣な表情になる。
「ユウキくんって自分が何者なのか考えたことある?」
「え?」
「子供の頃さ、自分って一体何なんだろうって考えたことがあってさ」
「へぇ、変わった子だったんですね」
「今も結局その答えは見つからないんだけどね」
 翔さんがクスッと笑って、
「そういえば、前から思ってたんだけど、ユウキくんってモスコミュールみたいだよね」
「モスコミュール?」
「うん、ウォッカのような固さとジンジャエールのような優しさを持っているみたいな」
「それって褒めてるんですかね」
「褒めてる、褒めてる。ウチの弟はビールみたいな」
「まぁ確かに」
「思うんだけどさ、ビールが好きな人もいれば、苦手な人もいるじゃん。モスコミュールも同様にね。で、何が言いたいかって、お酒も人も同じで、みんな違う場所にいるのに、わざわざ同じ土俵で戦う必要がないよね」 
「……」
 その通りだと思った。学生時代に就職せずに起業したいって思ったのは、誰かと比較してしまうこの性格を変えたかったからだ。会社に勤めれば、嫌でも周りと出世争いというレースに参加してしまう。でも今も結局、マウンティングというレースに勝手に参加してしまっている。
「だからユウキくんもさ、もっと自信持ってそのままミカちゃんにアタックすれば大丈夫だよ」
「え……」
 どうやら翔さんには全てお見通しだったようだ。そんな時、お店のドアがガランと開く。
「兄貴、俺の連れ三十分後に来るけど、その前に生もらっていい?」
 了解、と翔さんがビールを用意する。庄司がまた僕の左隣に座る。
「さっきはすまんかったな。お前の言ってること一理あるわ」
 と、僕の肩をポンと叩く。DV男特有の絶妙な優しさを再び見せつける。上手く反応できなかったが、少しだけ心が軽くなった気がした。美香ちゃんがトントンと階段を下りてくる。
「あ、庄司さん、戻ってきたんだ」
「うん、美香ちゃんのためにね」
「またまたー」
 コイツを見直したが、すぐに見損なった。
「そういえば、美香ちゃん彼氏いるの?」
「いないですよ」
「じゃあ、コイツとデートしてあげてよ」
 と言った後、庄司が僕の耳元で囁く。 
「すまん、さっきの話聞こえてた」
 完全に終わった。一番聞かれたくないヤツに聞かれてしまった。庄司が更に露骨にお願いする。
「悪いヤツじゃないからさ、ミカちゃんお願い!」
「俺からもお願い」
 翔さんまで頭を下げてくれた。
「私は全然大丈夫ですけど……」
 これ以上にない絶好の機会と察した僕は、勇気を振り絞ってアプローチする。
「じゃ、じゃあ今度デートしてもいい?」
「はい!」
「連絡先、教えてもらってもいい?」
「はい! もちろん」
 吉良兄弟がニッコリと優しく微笑み、僕は照れ臭そうにこう言った。
「翔さん、モスコミュールもらってもいいですか?」


ー 完 ー

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