貧富の差は広がるけど、なぜかチャンスの差は狭くなる

デジタルがない時代
それは下剋上がとてつもなく困難な時代だったに違いない。
なぜなら、”親の経済力”が子供の教育環境を整え、それが子供の知識や学力に確実に反映されていたから。
まさにカエルの子はカエルにしかなりようがなく、よほどの変人でない限りその仕組みを覆す事なんて出来やしなかった。
トンビはタカは産まないのである。

ところが、今の時代、その下剋上の間口が広がった。
誰しもが下剋上できる時代、なんてことは言わない。
下剋上が”やりやすくなった”のだ。
その切り口・突破口となるのが、デジタルやITといった代物だ。

この技術により”手を伸ばせば”裕福な家庭とそん色のない知識を身に着ける事が出来るようになった。

今となっては信じられない事だが、我々が小学2年生で学ぶ掛け算九九。
かつては、この知識・知恵は裕福な家庭でしか学びえないものだった。
経済力がないと”知る事”を許されなかったのである。

ところが今はどうだろう?
無償で世界中の知識・知恵が手に入る。
有償のものもあるにはあるが、かつては旅費を払って現地の図書館に行かないと見れなかったものが、非常に安価で閲覧する事が出来る。

そうした状況で、
下剋上を目指したいなら、
貧困の連鎖を断ち切りたいなら、
教育格差を乗り越えたいなら、デジタルを使うしかない。

「そのデジタル・ITすら手にする事が出来ない環境だとどうするのか!」
そう思われるだろう。
大変申し訳ないが、この世に完全なる平等なんてないのだ。
また
「パソコンがあっても使えないだろう」
これまた大変申し訳ないが、目指してもない人間をてっぺんに登らせるような仕組みは未来永劫来ることはないのだ。

創造でしかないが恐らく、過去に遡りいろんな時代で「下剋上」への近道となるツールはあったと思う。
そろばんが出来る人、ポルトガル語が出来る人、鉄砲を撃てる人…
今はまさに、デジタルこそがそのツールなのである。

そういう意味では、ひろゆきにしろホリエモンにしろ手段(PCとスマホ)に違いこそあれ、同じ事を言ってると感じる。

とは言え、ここまで書いておいてなんだが、別段下剋上を目指す必要もないし、人より勝る必要もない。
ただ、言いたい事は
「貧困ループ」「教育格差」に関してはデジタルツールを用いてある程度は逆転できますよ、と言う事に他ならない。

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