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本を読み続けるは大人として当然、という自己呪縛

除夜の鐘ってあるでしょ?
108鐘突くあれね?
ま、トーヤ家は年越しはガキ使なので全然縁がないんだけども…

あの108って数は煩悩の数らしいんですが、その煩悩をとっぱらったら解脱出来るらしいんです(マジで雑な記憶なので訂正は全然します。)
更に、お釈迦様曰く、その108個目の最後にある煩悩は

他者との比較

的な難しい言葉だった気がする(調べる気がないので指摘宜しく)。
つまり、解脱する時、最も難しい事が「他者との比較」であるという事らしい。

唯我独尊を地でいってるトーヤは且つて他者なんてどーでも良かった訳です。

※一般的な唯我独尊であって釈迦が言った唯我独尊ではないです。
…なんか仏教用語を下手に知ってるから言い訳がめんどくさくなってきた…

ただ、一昨年辺りに人間宣言をしてから、煩悩の再実装をした訳です。
するとですね、むちゃくちゃ他人が気になるんですよ。
嫉妬や妬みまでも行かずともそれに近しい感情が湧く訳です。
なるほど、これが人間なんですね♪
なんて最初は余裕ぶっこいてますが、この感情マジでめんどくさい…

まぁ、そんなこんなで他人との比較でトーヤを困らせたのは…

読書

だったりします。
いや、マジ、ホントにホントに活字は読めないんですよ…神の時から。
でもね、もう齢47歳ですよ。
娘も受験生ですよ。
やっぱりバカじゃ嫌じゃないですか。
そこそこの知識が必要じゃないですか。
ほぼ同年代の人の知識たるや、マジで膨大じゃないですか。
話せば話すほど、自分の無知さが露わになるじゃないですか。

「これは本を読まにゃいかん!」

と。
んで、本を買うじゃないですか。
”読まねばならん”と思って買うじゃないですか。

読まんですたい…

そうすると更なるマイナスのスパイラルが起こる訳ですよ。

今頃、他の人は字の書いた本で知識を増大してるんだろう。

と。
なのに自分は買った本ですら読まない訳ですよ。
思考と行動がふん詰まるんですね。
冷静に客観視出来れば解決方法はいくらでもあるんですが、自分自身を見つめるってマジで難しいんだと思います。

そんな時ですよ、本(活字)は読まないんですがマンガは読むわけです。
というか、まだマンガは読める気力が残ってたんですな。

この1393話に出てくる子供の気持ちが痛いほど理解できた訳です。
んで、こちら

これの1395話でトーヤはスッキリするのです。
別に活字じゃなくていいじゃん♪
別に自分が楽しいと思う事でいいじゃん♪
っつうか、マジでそれって唯一無二の価値だったりするんだよな、と。

ホントはそういう意味を込めてこれを書いた訳です。

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自分のできない事には手を出さず、今持ってるカードで勝負しよう。
そういう意味をここに込めてるのを再び心に留めて2021年を生きて行こうと思う訳です。

尚、上記の画像は送り仮名間違ってるんだよね(笑)

追記:マジで人間面倒くさい(´;ω;`)ウゥゥ
   そりゃ、子育てや職場で嫌な事があったら来る死んじゃうよね、と。
   でも、辛いと思うたびに成長を感じられるのは日々楽しい♪

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