神をやめた理由が判明
人間宣言をしてかれこれ1年以上経過した訳で、苦しみながらも楽しんでたりする。
神をやめた訳だが、自分自身何故やめたのはかよくわかってなかったんだなぁ…
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良い事か、悪い事かトーヤはFacebookに費やす時間が多い。
その理由のひとつにリンク先の記事をほぼ読んでしまうから…
最近は、それが脳内の疲弊となる場合があるので、出来る限り手を出すまいとは思うものの目につくとやっぱり読んでしまう。
今朝も、布団の中からスマホを手に取り横になりながらFacebookを開く。
そして、例の如くURLが貼られた投稿のリンクをタップする。
好きな理由よりも嫌いな理由を重んじる、か。
なかなか面白い面接だなと思った。
その瞬間に
あ、うちの娘、受験生で面接があるって言ってたわ…
と思い出す。
これは言わねば、と思い布団からもぞもぞと起きて娘にこの件を伝える。
面接で「嫌いなコト・モノ」を聞かれたらなんていう?
んで、その理由って何だと思う?
聞こえてるのか聞えてないのか分からないが、特に返事がなかった。
質問はしてみたものの、トーヤ自身にその質問が投げかけられたらどうこたえるか考えてみる。
そうだなぁ、お父さんは「理解力がない人」が嫌いだな。
そう娘に回答するようにその言葉を口に出した瞬間
”あ、俺はコトやモノが嫌いではなく、ヒトが嫌いなんだ”
”嫌いと言う事は興味があるという事か…”
”俺はヒトに興味があるんだ”
と認識した。
そう言えば、もし逆の「好きなものは?」という質問があったとしてもこう答えるだろう。
一緒に考えて一緒に悩んでくれる人
共通の話題で考えてくれるって事は、理解しあってるという事になる。
まさに、嫌いな人の真逆な訳だ。
いやはや、娘への情報提供のはずが自分自身の気付きになるとは思ってもみなかった。
まさに「情けは人の為ならず」ってやつだ。
そんな独り言とも言える事を考えてたら、聞いてなかろうと思ってた娘がこう言った。
なんで、理解力がない人が嫌いなん?
理解して欲しいって事?
なるほど、確かに嫌いな理由を考え忘れてたな。
え?
俺が?
他人に理解して欲しいかって?
そんな馬鹿な事がある訳ないじゃん(笑)
だって、元神ですよ、現状も天才ですよ♪
天才ってのは誰にも理解されないものであり、唯一の味方は”孤独”ですよ!
いや、待て。
それは違うぞ。
思い出せ。
俺は天才でも神でもなかった。
でも、自分の思考や感情が周囲に理解がされなかったんだ。
理解がされない世の中で生きるには”神にならざるを得なかったんだ”。
『お前らにはどうせ分からないでしょ?」
と。
話を戻せ。
では、そんな人間がなぜまたヒトとして舞い戻ってきたか。
それは、トーヤが理解される世の中になってきたからじゃないか?
失敗を称えられる世界
多様性のある世界
無数の選択肢がある世界
だから、お父さんは神をやめたんだ♪
そう娘に告げると怪訝な顔をして自分の部屋へ去って行った。
その自称神の子の後姿に
聞いてくれてありがとう。
と一言お礼を言った。
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若しかすると世の中二病と言われてる人は、トーヤと同じ理由の人も居るかも知れないな。