映画「ラストタンゴ・イン・パリ」(Last Tango in Paris, 1972, 仏・伊, 監督 Bernardo Bertolucci)
超有名な映画で見たことがあった気もしたけど、どんな映画か確かめたくて急いで観た。字幕や吹き替えはないけど、まあしかたない。
パリで男がアパートの部屋を探している。たまたま道で追い抜かれ、カフェのトイレですれ違った女もたまたま同じ物件を見に行った。そこでふたりは鉢合わせする。そこにかかってきた謎の電話。その電話をきっかけとして、男は女をレイプした。
ふつうならそこで女は怒り悲しみ、二度とその男とは会わないだろう。または警察沙汰や裁判沙汰になることだろう。ところが、ふたりはそのときから幾度となくその物件で逢瀬を重ねる。女は男に問う。「あなたの名前は?」男は答える。「名前なんかどうでもいい」「名前は言わない」「名前はたくさんある」ふたりは、お互いの名前や素性など言うことなく、情事にのみ、ふけるのである。
ところがもちろん、ふたりにもそれぞれの生活があった。男は母親と会って話しをする。女のところには映画監督の恋人が会いに来て、映画を撮影したりする。でも、件の物件では別人格である。身の上をすべて棚上げし、男と女の関係になるのである。
公開された1972年には、その大胆なシーンが問題になり、イタリアなどでは上映禁止になったという。男を演じたマーロン・ブランドも、女を演じたマリア・シュナイダーも、映画上映後にそれぞれの人生を乱されてしまい、映画への出演を後悔した。しかしこの2020年代に見てみると、大胆どころか、そんなにたいしたことはないと思ってしまった。今の世の中、情事のシーンだけだったら、もっと過激なものが世間を蔓延している。
それよりも、男が中年になり人生に疲れ、若い女との情事に生きがいを求めるという「あわれ」に大きな悲しさを感じた。最後には、女が優位となって優劣が逆転し、ふたりの関係を保つため男は自分の素性を女性に打ち明け始める。しかしそれは終わりの始まりである。男はどこまでも安寧を得ることがない。
年をとると襲われる「あわれ」を避けることなど、誰もできないだろう。映画を見終えて、なんか人ごとではないという悲しい想いで満たされてしまった。