日本人の誤解:「システムエンジニアリング」というコトバについて
”System”と「システム」の違い
英語の“System”と日本語の「システム」とでは、どうもその意味するところに少なからぬ違いがあるようだという感じを前から抱いていた。その「感じ」にかなり近いことが書かれたブログを先日発見し、「ああ、こういう感じを抱いていたのは私だけではなかった」と少し安心すると同時に、日本では同じことを感じている人は未だにマイノリティなのかもしれないという点が改めて心配になった。上記の違いについては、このブログに詳しいのでまずはそちらをご覧いただきたいが(実は私は「システム」というコトバについてもっと広く捉えているが)、この点について、単なる意味の違いだけではなく、それが招来するある種の理解不足が日本の発展の妨げになっているに違いないと言うことについて心配している。
システムズ・エンジニアリングとは何か
このブログに出てくる“INCOSE Systems Engineering Handbook, 4th Edition” (Wiley, 2015) の全訳が昨日慶応義塾大学出版会から出版されたということを知った。「やっと出たか」という感じと「遅かりし由良之助」という感じがないまぜだが、これで十分だという訳では決してない。目次を見る限りでは、この本はPBOKのハンドブックなどと同じできれいに整理されているが、これがあれば「システム・エンジニアリング」が出来るようになるというものではおそらくない。
システム・アーキテクトってどうやって養成するの?
まず、このハンドブックでは第4章第4節のたった一節で済まされている「アーキテクチャ定義プロセス」は、実はこれができる人材の育成の必要性が日本では明確には認識されていない点が問題だと思っている。そもそも「システムのアーキテクチャってどうやって考えればよいんだ」「どういう人ならシステムのアーキテクチャを考えることができるんだ」という点をよく考えなくてはいけない。
「システム科学」「システム思考」
さらに言うなら、このハンドブックに出てくる「システム科学」とか「システム思考」とかいうコトバは日本国内において言われる「理科系」「文科系」という範疇にくくられるものなのだろうかという素朴な疑問がある。これを論じ始めると長くなるのでここではやめておくが、ここには今の日本の教育体系にはその根幹に「システム」という概念への不適応がありそうな感じがしている。
こういう点についてもっと考えないと、日本のシステム・エンジニアリングに関する教育はいつまでたっても企業でのたたき上げに期待するしかない状態が続くのではないかと思う。