イスラエルの首相・ネタ二エフを支持できないようにパレスチナのハマスも支持できない
イスラエル側が入植できないパレスチナ側の土地に強制入植したり、アルアクサモスクへ強制突入する、トランプがエルサレムにイスラエルの首都に決める、バイデン政権も継続容認、そしてネタ二エフ首相のパレスチナへの敵視政策による弾圧などの「鏡」がハマスのイスラエルへの攻撃である。
しかし、ハマスそのものは、パレスチナ住民に支持されておらず、ハマスそのものへの抗議デモが起きている。武装闘争は概ね、民衆は支持しない。卑近な喩えでいえば、日本共産党の戦前の武装闘争路線の田中清玄を日本民衆が支持しなかったことと同じようなことでもある。
今回のハマスによるイスラエルへの攻撃には、イランのハメネイ師の力が強い。イラン国内ではヒジャブ着用しない女性が台頭し、イラン内部の「民主化」が進み、イスラム原理主義が崩れかかっている。ハマスによるイランの力を背景に起きた攻撃は、イスラム原理主義のぎりぎりの示威行動である。
イスラム原理主義の起源は、カーター元大統領時代、ホメイニが指導者の「アメリカ大使館人質事件」が起源でもある。なぜなら、イランにはイラン共産党が存在し、パレスチナにはPFLPというマルクス・レーニン主義を理念とした軍事組織が存在していた。それがホメイニ師のイスラム法支配により、一挙にイスラム原理主義という中世的世界観が根底にある西洋植民地主義への抵抗運動の基盤となった。だが、それは、毛沢東主義を指導原理とした第三世界論の消滅とともに衰退を約束されたオルタナティブな革命運動であった。実際のところ、ISILによるイスラム原理主義、ツインタワーテロ事件、アルカイダ、タリバンという負の遺産しか残らなくなってしまった。
パレスチナ・イスラエル紛争の起源は大英帝国の三枚舌外交「バルフォア宣言」端を発する。そしてナチス・ドイツのユダヤ人迫害により、米国への亡命とともに、イスラエルへの居住を求むユダヤ人も多数、移動し、イスラエルにユダヤ人人口が増えてしまい、1948年のイスラエル建国により、パレスチナとイスラエルの紛争は決定化する。
この紛争の大本は、西洋植民地主義にあるのだ。それをまるで、イスラムやアラブへ一方的に罪をなすりつける西洋民主主義、人権とやらの二枚舌に私は反吐がでる。
だからといって、今回のハマスによるイスラエルへの攻撃を私は、イスラエルの首相ネタ二エフ同様、支持できないのは、その攻撃が「ロシア化」してきたからだ。民間人をさらい、人質にするのは、ロシアのプーチンの小型版ではないか。
もうハマスの運命は尽きている。