見出し画像

ひでGのこだわり映画館5

夏のこだわり名画館(1)

メイディセンバー
とても難しいテーマに挑んだ映画でしたが、世間的には殆ど無視されていた話題作でした。

世間的にもっと評価されてもいいんじゃないかな。
酷暑の中、お仕事を早上がりして日比谷まで観に行って良かったです。

昼の回でしたが、僕くらいのシニア中心に結構入ってました。ただ、エンドロールで立つ人が多く、あまりご満足頂けなかったのかな?😅

さて、他の人はともかく僕はとても面白かったし、こーゆー作品が好きなんだなあって改めて思いました。

こーゆー作品って、自分でも分析し難いが、画面に映っている姿ともう一つの映らない姿が両立するような映画と言っていいんだろうか、とにかく一癖も二癖もある映画が好きなんですね。

物語は、ある家庭を女性が訪れるところから始まる。
どちらも普通ではない。

訪れたその家庭は、1996年、36歳の女性教師と13歳の教え子の不倫事件。女性は淫行犯として逮捕され、獄中で出産し、さらに出所後、2人は結婚という大スキャンダル事件の当事者グレイシーとジョーの家庭。

一方、訪問者は、グレイシーを映画で演じることになった女優エリザベス。

この関係自体が普通じゃない。ナタリー・ポートマン演じる女優は、この事件を調べて、当事者たちにインタビューをし、役作りをしていくのだが、
演じるものと演じられるものと関係が写し鏡のようにその境が見えなくなっていく。

同じメイクをして鏡の前に立つ2人。監督も意識していたというベルイマンの「ペルソナ(仮面)」を想起させられる。

この不思議な作品で僕が一番心惹かれたのは、当時の教え子だった少年ジョー。
今はグレイシーと結婚し20年経ち、子どもたちは高校卒業、一人前の成人になっているはずだが、、
夫婦仲は円満で愛し合っているのだが、彼女との本質的関係はいまだに教師と生徒とまま、そう、ジョーは何年経ってもあの時の生徒のままなのだ。

それを受け入れ、そのままのかたちで時だけが経ち、いつも間にか息子にさえ追い抜かれていったジョー。

屋根の上での父と息子の会話、こんな親子関係は初めて観た。悲しく、あまりにも切ないシーンだ。

自分たちのことで社会の強く、厳しいバッシングに耐えることを繰り返し、純粋なまでの削ぎ落とされた生活を強いられたジョー、過去も振り返らないと同時に今も未来も考えない人になってしまっていた。

それがエリザベスの出現により、自分の今と明日を想い浮かべざる負えなくなってしまう。

ただ、それはあくまで映画の中の真実。
考えてみれば、エリザベス自体も大きなフィクション的存在、あるいはメタファー的な存在と言ってもいいかもしれない。

事件の真相、今の当事者の姿、見る側、見せる側はそれを求めて、知ったように感じるかもしれないけど、当事者にだって何が真相だったのかさえ分からないことも多い。

映画を見終わったか後の、あのモヤモヤ感こそ、この映画の真実なのかもしれないな、

なんて、エンドロールでら流された劇中何度も使われていた劇的で不気味なピアノ曲。繰り返しの中で一音ずつ下がっていくが🎵
その先は何とも落ち着かないメロディの余韻が残るだけ。

はっきり分からないことの方が多かったし、
ピンとズレの解釈かもしれないけど、常に緊張感の中、画面と対峙することができ、これも映画の醍醐味の一つだと思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?