オモイデコインランドリー
看護師も駆け出しの私が田舎の国立療養所(結核と重症心身障害児)にいた頃「挨拶は人間関係の全ての基本。誰にでも挨拶をする。知らない人にも、プライベートでも」っていう伝統みたいなのがあって、若かったからいつの間にかそれが当たり前の習慣になって、都会と呼ばれる街に移り住んだあとも時々うっかりその習慣が出て怪訝な顔をされる事があった。
雑多な下町とターミナル駅がある街の境目に住んでいた頃、準夜勤の後に溜まった洗濯物を持って24時間営業のコインランドリーによく行っていた。
真夜中なのにそれなりに人はいて、ごうんごうんと回る乾燥機の音とお互いに無関心な人たちの中でぼんやりするのが好きだった。
ある時珍しく誰もいないコインランドリーでおんなじようにぼんやりしていると、ふいに「こんばんわぁ〜」という声がして、見るとスーパーの袋に洗濯物を詰め込んだ女の人がいた。
私も思わず「こんばんは」と言うと、その女はニッコリと笑ってくるりと背を向け乾燥機に洗濯物を突っ込んだ。コインを入れて振り向くと、他にも椅子はあるのに私の隣にドッカリと座って「ほら」と冷えたオロナミンCを1本私にくれた。
私はちょっとびっくりしながらもお礼を言って、すぐにそれを開けて飲んだ。美味しい。喉がカラカラだったんだ。
「ねぇ、飲んだのアンタがはじめてだよ」
とカラカラ笑いながら、自分は缶ビールを開けて飲んだんだ。
それから真夜中のコインランドリーで偶然に会うと、彼女は必ずオロナミンCを1本くれて、私はそれをグビグビ飲んだ。その横で彼女は缶ビールを飲む。
そんな事が何度かあったあと、彼女はいつものように私にオロナミンCを渡すと「ねぇ、しぃちゃん。お腹すかない?」と言った。
私たちは自己紹介もしてなくて、でもその頃になると私は彼女をおねーさんと呼び、彼女は私をしぃちゃん、と呼んでいた。オロナミンCのCちゃん、ってことらしい。
しぃちゃんである私は「すいた」と答える。
おいで、みたいな仕草をして、おねーさんはコインランドリーを出ていった。
そんなふうにして、それからおねーさんはいつも乾燥機を回している間、私を少しの時間どこかへ連れ出した。行き先は商店街の外れで朝までやってる汚い定食屋だったり、看板も出ていない怪しい地下の店だったり、雑居ビルの屋上だったりした。
今考えるとなんと警戒心もなく危ない事だったのかって思うけど、最初の「こんばんわぁ〜」の声と笑顔で、なんとなく大丈夫だって確信を持ってたんだな。
おねーさんは私の事を何も聞かなかったし私も聞かなかったから、お互いのことは何も知らなかったけど、おねーさんとの時間はとても楽しくて楽しくて退屈しなかった。
そんなことがしばらく続いたあと、私は仕事が忙しくなって彼氏もでき、真夜中のコインランドリーに行くこともなくなった。たまに行ってもおねーさんに会う偶然はなかった。
昼間に一度だけおねーさんを見かけたけど、ちょっと怖そうな男の人と腕を組んで歩いていて声はかけられなかった。
おねーさんは私に気がついて、ちょっと歩いたあと振り向いてニカっと笑ってそのまま行ってしまった。
それきりでそれだけの話だ。
私の人生でいちばんドラマみたいだった話は、ドラマみたいにワンクールで終わった。
だけど今でもコインランドリーに行くと、しぃちゃんだった私を思い出す。
ごうんごうんと回る乾燥機の音とお互いに無関心な人たちの中でぼんやりしながら、冷えたオロナミンCを飲んでいるよ。
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©️JUNKO*
Instagram(junko_o_japan)より転載
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