感謝と不満のてんびん
20代、いちばんお世話になった人が死んでしまった。
北海道はすすきの、「ケントスバンドの店 ビートガレージ札幌」の社長兼ピアニストの佐々木浩平。
自分の生活をいちばん守ってくれた人であり、
自分のつたないアドリブをいちばん喜んでくれる人であり、
自分の音楽をいちばん育てようとしてくれた人だった。
滅茶苦茶な人間だったので、迷惑を被ったことも数知れず。
寝坊した浩平さんを家まで起こしに行ったり、
「お店のステージ時間までに戻る」と言って全然戻ってこない浩平さんをタクシーで探しに行ったり、
酔っ払って店の外のキャッチと揉めてるところを仲裁したり、
「携帯キャリアの販売を始めようと思う」と言ってめちゃくちゃ怪しいネットワークビジネスの集会に参加させられたり…
「浩平さんが死んだ時って感謝と不満どっちが勝つのかな」
と生前、何の気無しにふと考えたこともあった。
音楽のことはよく教えてくれた。
ほとんどは褒めてくれた思い出ばっかり。
唯一よくダメ出しされたのは「もっとアウトしろ」ということだった。
こういう店ではレコードの録音通りにソロをコピーして弾くのがなんとなくセオリーになっていると思うけど、自分はソロの間に色んなアイデアをチャレンジをする時間になっていて、浩平さんもきっとそうだったと思う。
いつも通りステージで「ジョニー・B・グッド」を演奏中、「これならどうだ」と思いたってソロを全部「ラ」の音で弾いた日、浩平さんはとても笑っていた。手を叩いて喜んで、「今日はいい日だ」と言ってくれた。
その後お酒が進みすぎて、その日は最後のステージを演奏しないでどっか他所に飲みに行っていた気がする。やれやれ。
その後もまだ足りないようで「アウトしろ」「アウトしろ」とよく言われた。でもこれが難しくて、いまだになかなか音楽的に、そしてカッコよくアウトできない。もっとアウトしてるところを見せて、褒めてほしかった。
死ぬ間際も死んだ後も会いに行って、ずうっと涙も出ないし悲しくもなれなくて、心の動き方を探っていた。けど、これを書きながら「自分の成長を手を叩いて喜んでくれる浩平さんにもう会えないんだ」と本当に気づいてしまってから、涙がたくさんたくさん出てきた。
いつか乗せた不満のおもりは都合よく消え去って、いまは感謝だけでてんびんが傾いてしまっている。ずるい人だった。
浩平さーん、ありがとーー。
もっと上手くなってもっとアウトするから見てて!