見出し画像

ノータイムで鉄これ一択しかない


最高位戦の今村順平プロがインターネット・バーストを起こしていた。
まあ、昔から順平さんは古の麻雀SNSである「はこパラ」時代から炎上しそうなポストを厭わないような歯に衣着せぬ人なので炎上しても1ミリもダメージ食らってなさそうだ。タフに生きている頼もしさがある。

順平さんの話は置いておいて、ここで話題にしたいのはタイトルでもわかる通り、「鉄~」「ノータイムで~」「~一択」などのいわゆる絶対性を持つ「強い言葉」を何切るの議論に用いてもよいのか、ということである。


結論から言うとそれは

何切るが「どういう意図で発信されるか」で変わる

というのが私の意見だ。


私はインターネットで発信される何切るの意図は今までの経験上、4つくらいに分類されるという考えである。その4つを紹介しつつ、絶対性を持つ「強い言葉」を使ってもいいのかどうかという話をしていこうと思う。

①ガチ議論型「何切る」

あまりにもそのままだが、より良い選択を求め、他人と意見を交わし、それぞれの選択をデータやロジックをもって比較し、「一番正しい答え」を求めるという議論としての「何切る」である。

タイトル通り、ガチ議論となりやすく、ゆえに議論に参加する人たちは議論が深まるにつれて白熱し、どんどん言葉もキツくなっていきがちだ。
現在のインターネットの傾向として、議論における厳しい意見=批判が行き過ぎて誹謗中傷のようになると感じる人も多く、とにかく「強い言葉」を使うのは辞めよう、という傾向にある。相手の人格を否定するような誹謗中傷めいた言葉を議論で用いるのは確かに論外だし、敢えて不必要にキツい言葉を用いて議論することはやるべきではないとは私も思うことはある。

しかし、私の考えとしては、こういうガチ議論には記事タイトルのような、「自分の意見における絶対性を持つ言葉」に関しては、用いてもよい、いや議論の始まりにはそれを持っておくべきではないかとすら思う。

その理由とは何か。
それは「一番正しい答え」を得るには「絶対性を持つ意見同士をぶつけ、お互いの意見を否定しながらも徹底的に話し合い、さまざまな視点や考察を踏まえた後、より高い段階で意見を統一する」ことが一番良い方法だと思うからである。こういうのは止揚(アウフヘーベン)と言う。どこかの都知事がちょっと昔に流行らせたこともある言葉でもある。

ただし、注意しなければならないこともある。
ここでの絶対性はあくまで「一番正しい答え」を出すためのそれぞれの意見の強度を高め、議論が高い次元になるためのものでしかなく、自分の意見にどこまでも拘り、本当に何を言われても変えない、というのでは意味がない、ということだ。高い段階に至るという目的を忘れ、平行線の議論をし続けることほど無駄なものはない。

言い換えると、このガチ議論を成立させるためには、お互いをリスペクトし、議論する能力をちゃんと持ち、最終的に「一番正しい答えを出す」という目的を共通認識として持っているような関係性を作っている、ということが前提になる。

この前提が例えばXのような不特定多数が参加できるようなSNSでは致命的に相性が悪いように私には思われる。現在のキツい言葉に厳しい風潮が輪をかけて相性を最悪なものにしている。もしやるなら、ディスコードでメンバーを決めてグループを作ったり、麻雀プロがやってるようなメンバーを厳選した勉強会を定期的にやったりするような形のものがこういうガチ議論をやるには向いているのではないか。


②意見収集型「何切る」

自分の選択の強度を確かめる方法は、他人と意見を交わす(①)だけではなくもう一つの方法がこれである。要は、「どれだけたくさんの人が同じシチュエーションでどのような選択をしているか」を調べ、そこから自分の選択の参考にするという方法だ。アンケート型「何切る」と言ってもよいかもしれない。

この方法はできるだけ他者の意見を多く集め、それぞれの全体的な比率や傾向から自分の選択のついて考えるというものであり、まずはどれだけ意見を多く集められたかが重要だ。集められたデータがある程度揃ってはじめて考えられるという性質があり、ここから自分だけで考える人だけでなく①の「何切る」に移行する人も少なくないだろう。

ただし、注意しなければならないことがある。それは「意見を集めている途中ではそれぞれの選択に優劣がないものとして集めなければならない」ということだ。いわばブレインストーミングをするのがこの意見収集型「何切る」なのである。

つまり、「何切る」を発信している側はどんなに素晴らしい意見・選択であろうと、どんなに愚かしい意見・選択であろうとそれらは意見を集めきるまではそれらは同じ価値を持つものとして扱う、ということだ。選挙の一票が投票者によらず同等の価値であるということと同じである。

よって、「集めている途中では」その意見の内容や言い方に注文を付けるべきではない。どんな乱暴な意見であろうとそれは貴重な意見の一つであるのだ。勿論、あえて乱暴な言い方をする必要はないのでそれを諫めたくなる気持ちはよく理解できる。しかし、制限が多ければ多いほど意見が集まりにくくなるものではないだろうか。意見を収集するという目的において意見の表し方を制限することで意見を集めにくくなるというのは本末転倒に結果として本末転倒になってしまう。発信する側はそこに留意してやり方を考えるべきだし、答える側もイチイチ他人の言い方を気にせず、「たくさんの意見が欲しい」という発信者の意図を汲んでどんな意見・選択でも好きに答えるという心構えがほしいところだ。

では、絶対性を持つ「強い言葉」を使っていいかどうかの話に戻ろう。
この②の「何切る」に関してはどのような意見であっても価値は同じなので「使っても使わなくてもよい」という結論になる。あえて使う必要はないので、できるならばSNSについているアンケート機能を使い、選択以外の余計なことを言わなくて済むような形式も利用すればよいとも思う。


・結局どうして問題は起きるのか?

さて、ここまでの話を読んでもらい、どうして問題が起きるのかにもうお気づきの方もいらっしゃるだろう。それは

①と②を同時進行する、あるいは①と②を混同する


ことで諸問題が起きて揉め事やギスギスやお気持ち表明がお出しされていくことが多いのではないか、と私は個人的に思っている。
①は絶対的な意見のぶつかりと序列の決定、②は相対的な意見の収集であり、やることはまったく逆のように見える。しかし、実際はこれはどちらも行われており、どちらが正しくどちらが間違っているということではない。
これはフェーズ(段階)の問題で、②が為された後に①をやるべきという極めて単純な話だ。①②を同時にやったり、①②を混同してしまうと①②の性質が逆のため、問題が現れてくるということなのではないか。

SNSでやる「何切る」はインターネットの性質上、このような現象が起きやすいものであるのはこれまでのたくさんの事例があるため想像に難くない。
まあ麻雀界隈はワイワイ賑やかにやるのが好きな人が多いし、あえてこのようなやり方を好む人もいるのかもしれないので、やり方については個人の好きにすればよい。それぞれがどのような目的を持って行うか、が大切なことであり自由に選択できる私たちはその目的に沿ったやり方を選べばいいだけだ。

今回の記事を読んでくださった方の誰かに役に立つ考え方であれば幸いです。


おまけ?
ここからはネタ的に残り二つの「何切る」を紹介していく。
おまけなのでここから有料ゾーン。

③ドヤイキリ型「何切る」

ここから先は

1,607字 / 1画像

¥ 100

よかったらサポートお願いします!東京への交通費等の助けとなります。応援よろしくお願いします~!!!(*´ω`*)