【絆】自分の人生を生きるということ。
大きな壁に押し潰されそうな時、
悩みから抜け出せなくなった時、
不安の渦に吸い込まれてしまった時、
漠然とした恐れに襲われた時、
そんな時に僕は
こう考える。
『家族の命に危険がある訳ではないな』と。
そうすると大抵のことは、
大した問題ではなくなる。
本当に大切なものさえあればいい。
家族が元気でいればいい。
自分が元気でいればいい。
本当に大切なものは、
実はとても少ない。
極々少ない。
限りなく一つに近い。
そのことに気付けば、
他のものを失うことは恐くない。
本当に大切なものがあるのなら、
それ以外は大して必要なものではないのだから。
しかし、
悩みや不安、恐れの渦中にいる時は、
本当に大切なものではないものを
あたかも命を失うかと同じように
大切なものだと思い込んでいる。
だからそんな時は
『本当に大切なもの』
『本当に本当に必要なもの』を
ちゃんと確認しなければならない。
それだけで、
大抵の壁は越えられる。
もし、悩みや不安の原因が
家族の命が危険に晒されている場合は、
それは死を覚悟して
『今はまだ生きている』
『生きている限り最善を尽くそう』
そう思う。
そう思ってきた。
そして実際に看取ってきた。
本当に大切なものに気付けば、
本当に大切なものを大切にするようになる。
そしてそれが
この世から去ったとしても、
それは変わらず大切なものとして
自分の支えとなる。
力となる。
失っても
失っていないことに気付く。
失った時は、悲しい。
耐えられない程、辛く悲しい。
乗り越えられる気がしない程に
辛く悲しい。
どうやっても戻らないことはある。
それは
受け容れなければならない。
しかし、
そのものとの思い出は消えない。
そのものに愛された事実、
そのものを愛した事実は消えない。
本当は何も失ってはいない。
心の中に生き続ける限り、
そのものは確かに存在している。
そのものから受け取った愛で
今の自分がいる。
そのものに
愛され、
幸せを願われ、
分け与えられ、
支えられて
育って来たのが今の自分だ。
だから、
自分が自分を生きることは、
そのものの
幸せであり、
願いを叶えることでもあり、
恩に報いることでもある。
そして、
そのものが存在していた証明であり、
愛してくれた証であり、
愛された証である。
そのものを
本当に愛しているのであれば、
自分の生きる姿で
それを証明しなければならない。
それが
自分を生きるということ。
目に見えるものだけに
囚われてはならない。
目に見えないものが
自分の支えになる。
力になる。
そしてそれは、
そのものに愛されていた証明なのだ。
そのものを心から愛している証なのだ。
誰に言う訳ではない。
誰に証明する訳でもない。
誰に分かってもらう必要もない。
自分とそのものとの絆は
確かにここにあるのだから。
坂内秀洋 初写真展
『イキテル』
〜目には見えないものを映す写真〜
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