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新入りでいるということ(ポール・グレアム)

Paul Grahamのエッセイ、”Being a Noob”を訳しました。

2020年1月

私が若かったとき、歳を取った人はなんでもわかっているものだと思っていた。今、自分が歳を取ってみて、それは真実ではないとわかった。

私はよく新入りのように感じる瞬間がある。それは、いつも自分が何も知らない分野についてのスタートアップと話すことや、あまりよくわかっていない分野についての本を読むことや、物事がどう動くかよくわかっていない国を尋ねるというようなものだ。

新入りのように感じるというのは、楽しいものではない。そして"新入り (noob)"という言葉はあまり礼儀正しい言葉でもない。しかし、今日新入りであることを勇気づけてくれるあることに気がついた:ローカルにより新入りになることで、 グローバルには逆に新入りでなくなるということだ。

例えば、もしあなたが母国にいたら、 ファラワビアのような全てが違っている国に引っ越すよりも新入り度は低いと感じるだろう。しかし、もしあなたが引っ越せば、より多くを知ることになる。 すなわち新入りと感じることは、実際に無知であることとは逆の相関があるのだ。

しかしもし新入りと感じることが私たちにとって良いことならば、なぜ私たちはそれを不快に感じるのだろうか? そのような不快感が、どのような進化論的な結果をもたらしたのだろうか?

私の考えでは新入りと感じる原因には2種類ある: 愚かである場合と、何か新しいことをしている場合だ。私たちが新入りであると感じることへの嫌悪感は、私たちの脳が私たちに「いけ、いけ、これを理解しろ」と囁いているということなのだ。 これまでの人類史の中で、どちらが考えるに値することだったのか。 狩猟採集民の生活は複雑だった、しかし今日の生活ほど激しく変化することはなかった。 彼らは突然、仮想通貨に対して何をすべきかを解き明かさねばならなくなることはなかった。 そのため、新たに発見された問題への能力よりも、既存の問題への問題に対しての能力に偏っているのは自然なことだったのだ。食料が不足しているような世界で空腹を嫌うのは自然なことであるように、新入りであることを嫌うのは自然なことであったのだ。

今日、食料がありすぎるということが、食料が足りないということよりも大きな問題となり、我々の空腹への嫌悪感は的外れなものとなった。そして我々の心理であることへの嫌悪感もそうなったと思う。

新入りであることは不快であり、そして人々からそのために馬鹿にされることもあるが、新入りであると感じれば感じるほど、あなたにとってはいいことなのだ。

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