映画を観た記録31 2025年2月16日    ヴァレンチヌ・ヴァシャノヴィッチ  『リフレクション』

Amazon Prime Videoでヴァレンチン・ヴァシャノビッチ『リフレクション』を観る。

本作は、映画の流れる時間が正面のミドルサイズの固定で画面が構成される。であるので、様々なカメラワークやアングルの画面を観てきている「現代人」には苦痛かと思われる。しかし、その苦痛に耐えてこそ、本作を観たことの価値があるのだ。

本作はロシアがクリミア半島へ侵攻した2014年の11月が作品の舞台である。キーウの病院で勤務している医師である主人公セルヒーは、クリミア半島での戦線から送られてくる重傷者の処置をしていたが、救命できないでいた。そして、従軍医師となったセルヒーは、道に間違え、ドネツク人民共和国へ紛れ込んでしまい、銃撃戦で、同僚が殺され、自身は捕虜となってしまう。セルヒーは、ドネツク人民共和国で拷問に遭遇し、また、ほかの捕虜の拷問を見る。中には殺されてしまうものもいる。ドネツク人民共和国の拷問は、電気ドリルで太ももへ突き刺すという恐ろしすぎる拷問をする。本作はスプラッター映画ではないので、電気ドリルが突き刺さった太ももから血しぶきがあがることはなく、無情にカメラは冷静に何事もなかったようにその情景を写していく。血しぶきがあがらないというように、本作は、劇映画の約束事や物語化を拒否している。まるでシャンタル・アッカーマンのような映画ともいえるが、本作は、部隊がロシアに侵攻されたクリミア半島を領土にしていたウクライナの現実であるので、深刻である。

撮影している側が、被害者ということもあり、英雄物語にできるはずがないし、侵攻されていることの苦しみを、拷問や嘘の供述で捕虜交換として、自由にさせられてしまうこと、娘は乗馬訓練をしたが、落ちてしまい、腕を骨折してしまうこと、セルヒーは早朝。ランニングをして、野犬の集団にかまれてしまうこと、とにかく「痛み」を延々と見せつける映画である。

華々しい抵抗物語さえ、作り手には欺瞞と感じているのかもしれない。とてつもなく絶望感が観る側にも生まれてくるのだ。

戦争とは、争いとは、物語にしてはいけないものなのだ。

そもそもが、 人間の生を物語にしてはいけないのだ。

ありのままを見つめること。

いいなと思ったら応援しよう!