映画を観た記録25 2025年2月1日    マリオ・バーヴァ『ラビッド・ドッグス』

Amazon Prime Videoでマリオ・バーヴァ『ラビッド・ドッグス』を観る。
下品の一言である。
1970年代、台頭してきたアメリカのカー・アクション・サスペンス映画を意識したイタリア映画であるが、極めて下品すぎる。
人質にとった女性を立たせて放尿させるわ、その人質にとった女をいたずらにしていた32と呼ばれる男は、あまりにも困ったちゃんなので、ボスの博士と呼ばれる男がトンネルの中で銃で殺すが、即死ではないので、親友のナイフと呼ばれる男がそいつのとどめをさしたはいいが、親友だからか、殺しのショックでげろげろまでする。
放尿とげろ。そして殺人。
人質にとったのは、子どもを病院にまで連れていくという言っている男だが、実はその男には裏の顔があり、それがラストでわかる。まったくハッピーエンドではない。ちなみにエンディングクレジットに流れる音楽がアメリカ音楽でよく流れるような曲調の曲だが、全く本作の下品さにあってない。このような音楽は『クレイマー・クレイマー』にでも使うような音楽ではないか。
観客の期待を裏切るラストである。
イタリア映画は基本的にコロッセウム感覚なんだろうな、と私は感じる。パゾリーニもフェリーニもヴィスコンティもベルトルッチもそうだと私は見ている。もっともロッセリーニだけはそのコロッセウム感覚がない。マルコ・ベロッキオも相当グロですよね。
それはともかく、マリオ・バーヴァといい、ダリオ・アルジェントといい、そして、数多あるマカロニ・ウエスタンの毒毒しい、アクの強さは、癖になる。セルジオ・レオーネの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』は、勘違いして下品さが薄まった映画である。しかし、この映画もラストは観客の期待を大いに裏切るコロッセウム映画である。
イタリア映画の、娯楽映画は、イタリア語がとても極めて印象に聞こえる。イタリア語は、英語より単語が長いのではないか。どうも抑揚が悪い気がする。
本作は1974年製作映画であるので、窓を閉め切った人質を乗せた車を見て、他の車のドライバーが「エアコンがあるのか、うらやましいな」というセリフがある。確かにこのころは日本でも車にエアコンは珍しいのであった。車のカーステレオがラジオだけというのが、まだまだ1970年代を表しており、殺人シーンの誰が見てもわかる血糊が、当時の映画表現の「良さ」を表している。
イタリア映画には、ハリウッドのようにヘイズ・コードやレイティング・システムがないのだろうか。ないから下品で、しかも、残酷描写を際立たせようとしている。その描写が微笑ましい。
ちなみに、殺された32という男は、なぜ32という名前なのかというと、イチモツが32センチまでに勃起するからであるが、下品でも、さすがにそのイチモツは見せていない。
『食人族』を作るような国の映画であることはまちがいない。
エモいというかエロいというか謎の映画である。

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