映画を観た記録4 2025年1月3日     クリント・イーストウッド『アウトロー』

Amazon Prime Videoでクリント・イーストウッド『アウトロー』を観る。

原題は、『The Outlaw Josey Wales』である。お尋ね者ジョージ―・ウェールズというような意味なのだろう。

そのジョージ―・ウェールズをクリント・イーストウッドが演じている。脚本が『存在の耐えられない軽さ』のフィリップ・カウフマンである。撮影監督は、『白い肌の異常な夜』、『ダーティー・ハリー』以来、おなじみのブルース・サーティーズである。

映画冒頭で、ジョージ―・ウェールズが農作業をしているとき、その傍らで手伝いをしているのがカイル・イーストウッドであり、イーストウッドの実の息子である。イーストウッドは本作で、ソンドラ・ロックと出会い、付き合うようにもなるのだが、ソンドラ・ロックとともに作った映画は、『ガントレット』『部ロンコ・ビリー』『ダーティー・ハリー4』がある。『ガントレット』のバス突撃シーンは印象に残る。

古典的な西部劇のスタイルである。例えば、イーストウッドが、コマネチ族の酋長と交渉をするのだが、この種の交渉も古典的な西部劇ではよく使われる。ジョン・ウエインもやっていたりするのだ。先住民と共に西部を旅をするのであるが、それもまたハワード・ホークス『赤い河』では先住民とともに旅をする。先住民は、なぜかギャンブルに強く、旅を共にしているウォルター・ブレナンが演じる人物の入れ歯を巻き上げる。というような蘊蓄はともかく。

1976年製作であり、当時は、西部劇など、どう考えても時代遅れなのであるが、その時代において西部劇をクラシカルなスタイルで作ったということに本作の意義がある。とはいえ、クラシカルな西部劇スタイルに、マカロニ・ウェスタン的な残酷さの強調が加わっている。もっとも、1976年であるから、ジョン・ウエインが活躍していたころの映画表現への規制が緩和され、また、当時のアメリカ映画はウイリアム・フリードキンのような迫真的な描写をしたり、コッポラの『ゴッド・ファーザ―』もそうであるが、当時の映画は、画面からくる観客の刺激は相当強くなってきた時代でもある。そのような時代に時代遅れの西部劇をイーストウッドは作ったのである。ストーリーの時代設定もまた、定番の南部戦争であり、そして北軍に蹂躙される南軍の農夫ゲリラとしてジョージ―・ウエールズは描かれ、北軍のテリル大尉に、家を焼かれ、妻も息子も殺されてしまうのである。息子は焼かれた家の中で焼死である。ジョージ―・ウェールズは唾を吐く癖があり、その唾が透明ではなく、黒いというか、血の色なのか色を特定できないが、その色付き唾をぺっぺっ、と吐くのである。当然ながら敵にも吐き、ときには、チーフ・ダン・ジョージ演ずる先住民が連れている犬にも吐き、犬は唾をかけられてガルルとうなるシーンがあり、このシーンもそうであるが、西部劇であるようなユーモアというか皮肉のような笑いも混じっている。

農夫ゲリラ隊の指導者はフレッチャーと名のるジョン・バーノンが演じる人物であり、この男は北軍に裏切り、ジョージ―を探ししに最後にジョージ―・ウェールズであることを知りつつ、分かれるのである。そのような演出というかドラマもまた西部劇的定番スタイルである。

ジョージ―・ウエールズはサラ・ボトムズ演じる若者とともに先住民居留区へ逃げ、結局、そこで、若者は死ぬのだが、チーフ・ダン・ジョージ演ずる先住民(チェルシー族)とともに、旅を出て、途中立ち寄った店で白人強盗に襲われている先住民女性を助け、なぜか、チーフ・ダン・ジョージ演ずる先住民が、チェロキー族の酋長と誤解している。その3人と4頭の馬と犬で旅をして、途中、老婦セーラは強盗に襲われ、その娘、ソンドラ・ロック演ずるローラ・リーも加わり、老婦の息子が住んでいた町に着いたら、銀が亡くなっていた後であり、その息子もいなく、さびれた町に立ててある家で住むのである。

そこで一時の平安を取り戻したジョージ―は、ローラとセックスなんかしたりする。1970年アメリカ映画らしい演出である。ジョン・ウエインが活躍していたころは、熱いキスまでである。

結局のところ、イーストウッドそのものがスター俳優であり、つまりはスターシステム的な映画でもある。しかし、なぜか、当時のアメリカより、フランスの『カイエ・デュ・シネマ』の連中が、イーストウッド映画を先に評価したようだ。

ジョージ―が交渉するコマンチ族の酋長は、ウイル・サンプソンという実力派俳優である。『マリリンとアインシュタイン』にも出演している。

西部劇なので、その大自然の風景、馬車、馬、銃、ライフルなどの道具がこの映画を際立たせている、面白いのは、ミズーリ州の男どもをバカにしていた老婦は、当初は、いかにもビクトリア朝な花飾りの帽子をかぶっていたが、襲われた後、メキシコ人が被るような帽子をしている。

ブルース・サーティーズの、顔が黒くつぶれて半分真っ黒のような撮影は本作でも遺憾なく発揮している。

細かく、西部劇としてのスタイルを保持している。ローズの衣装などはまさに西部劇にでてきそうな衣装である。

音楽はジェリー・フィールディングである。

黄昏の時代の西部劇である。

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