形を齎す。石と向き合う。像と向き合う。
そういえば最近先生が仏像を掘ったと言っていた。木製の小さな人形の写真を見せてもらったけれど、なるほど確かに仏像感がある。
仏像とオモチャの人形の違いはなんだろうか。
仏像を仏像垂らしめるモノはなんだろうか。
形を齎すとはなんだろうか?
僕たちの身体は何故形を持つのだろうか。
仏像にATフィールドは張られているのだろうか。
11面観音というでかい仏像があった。
この仏像だけ。僕は異常に怖かった。
何故だろう。
ATフィールド全開だったのかもしれない
鎌倉は山に囲まれてる影響か、洞穴が幾つかあった。人の手で掘られたはずの洞窟からは、何故か自然性のソレを感じてくる。
これも一つの、形を齎すなのかもしれない。
洞窟の中は本当に暗くて、僕は蝋燭を一本買って火を付けて歩いた。小さな灯火の光を頼りに、全体ではなく部分として見ていく像たちは中々面白かった。
石とはなんだろうか。
掘るとはなんだろうか。
形を成すのではなく、齎すとは何だろうか?
川で転がり削れた軽石と、彫刻的仏像はなにが違うんだろう。人工、人為的とは何だろうか。
人の手で宿らせる神性とは、何だろうか。
僕の生み出した作品に、神性が宿ることはあるのだろうか。