母との対話w
2019年、SEからセラピストへ転職した直後、家族を連れて両親の元へ遊びに行きました。
2018年までは、私が両親の色々な不手際を論理的に(w)詰めまくり、険悪さがピークであったところ、私が変化し、
出過ぎた真似をしたことへの謝罪とこれからの生き方について手紙を送って、少し以前の状態に近くなったばかりの頃。
この頃、過去の私の行動について自分で整理をしていました。
例えば、、、
父が今時かなり良い給料や手当を得ているのに、貯金を一切せず、母が私に
実家の屋根直したいからお金貸してくれ、(200万!)
どうせ貯めこんでるんでしょ?月払いですぐ返すから。
と言ってきたり、
適当な分割カード払いが積み重なっていたり
といったお金に対する態度に激怒したことに始まり、、、
自分が親となって気付いた子供に対して行う事、
何で俺にあんなことをしたんだ?
トカトカ
そこから重箱の隅をつつくようにあれやこれやと一般常識からはずれる事等を正論で批判しまくってタノカナシんでいました。
⇒※楽しみながら悲しむこと
要因の一つは、人より厳しくされて、凄く居心地が悪かったのに文句を言わず、(途中まで)変に適応してしまったこと。
いい学校行って~
いい会社入って~
というのにも表面上従ってみたけれどやはり何も感じるものを見出せず、学校には行ったものの仕事内容も知らずに適当に入った会社はすぐに辞め、
音楽を勉強して仕事してみたり、のらりくらりし始め・・・
母の思う一般的な仕事(ってなんだ?)をしない息子に対する母の落胆を背に受けて、それを見るのも嫌になり、
全く接触もしないようになり、、、
ケド
その状態の背徳感に負け、
(そんな状態では何も前に進まない)
全てを諦めて
ちゃんとサラリーマンになろう
と、28歳でSEとして再就職。
たまたま給与もそこそこでホワイトな安定安心の環境を得た。
それを10年続けて湧いたのが大きな
承認欲求
だったのだと思います。
散々、嫌なものを我慢し続けて一回放り投げたけど、本格的に我慢することにして
ホラ、ちゃんとしてみたよ!!
見て見て!!褒めて!!
でも
父からは、今時随分良いところで働いているじゃあないか
という一言はあれど、
母からは何の反応もありませんでした。
そこで、自分はこんなにちゃんとしているのに、あなたは全然ちゃんとしていない!
というあらさがしと怒りに繋がったのです。
自分が子育てをしていて、自分の子供が大きくなったらどんな仕事をしてどんな生き方をしているかということには、
凄く興味があるな、
と感じていて、逆にそういった反応が一切なく、今までどんな時も母が一度も私の仕事内容について聞いてこない事にも大きな疑問を感じていました。
話は戻って、両親の家へ遊びに行った夜・・・
皆が寝て母と二人っきりで話をする時間が出来ました。
親に対するブロックを放置していては、今後の人生にも影響がある、と学んで感じていた私は、上記のような事を思い切って色々正直に話してみました。
「・・・かくかくしかじかで、今後おれが何をするのかをちゃんと見て欲しい」
※これ、書くと簡単に見えますが、言うのは物凄く勇気がいりました。
すると、返ってきた答えは
母「あー、でも私仕事の事とかよくわかんないのよね。だってお父様(私の父)の仕事も何やってるのかわからないもの。」
ああ・・・ハハハ・・・
この時私に浮かんだ言葉は
暖簾(のれん)
でございました。
母は、
もと結構なお金持ちのお嬢様。そして、女は男を立ててれば良い的な少し古い女性観の持ち主。
何だか、
肩の力が抜けたというか一気にバカらしくなったのと、
最早、批判の意もないけれど、
小さい頃、厳しく教育されていたのも
どう生きていって欲しい、
とか
一人の人間として見る、
というより
周りで良しとされる教育をなんかノリで頑張った。
そんで、思い通りにならなかったから
「失敗した」
と簡単に言えたんだな、と。
偏差値教育を見事にこなしきって大企業に就職した親戚、、、
「の親」を羨ましがったりと、
自分のステータスに重きを置いていたのだな、と。
自らの考えがないだけで、そのノリに関しては本当に大変な事でも一生懸命取り組んでいた事は重々理解出来るし、その恩恵はなくはなかった。
(そりゃあ色々やらせるのは親も大変だしね)
・・・ブロックは解消したのかな?
それは微妙だけれど、大きく前進出来たのでした。