素直になるということは・・・
私にとって子供は
先生
です。
ちょっと前は自粛もあって特にずっと自宅で一緒に過ごしていて
うわぁ、面倒臭ぇ・・・
とか
うるっさい!
とか反射的に思う事も多々ありますが、(自粛前からもあるある)
「あっこれは自分もなったことある!」
「こんな時、親にこうされて悲しかった・・・」
と、昔を振り返ってから自分の子供への対応をもう一度見直してみたり・・・
子供と親の心の動きにスポットをあてることが多いです。
そこで、子供が素直に言うことを聞く時ってどういう時かなぁ、と想像してみると
・たまたま気が乗った時
・自分もそっちが嬉しい、楽しい時
・そうすることで周りがいい感じになりそうだ。
=空気を読んでいる
最後の空気を読んでいるっての、
これは何が起きているのかを考えてしまいました。
先日、子供にピアノを教えている最中、子供がだんだん気が散ってきて全然身が入らず、態度も悪い。
一瞬、「ひっぱたいてやろうか?」とも思ったのですが、自分とは違い、彼がそんなことで自分を曲げる人間ではないことはこれまでの応対でわかっているww
ので、
お菓子でつったり、のらりくらりやっていました。
そこでふと、
こんな時、自分だったら怒鳴られ、ひっぱたかれ、問答無用で言うことを聞かされ、泣きながら
「素直に言われたことをやる」
(=空気を読んでいる)
になっていたのを思い出しました。
勉強でもそうです。(常にではないですが、そういうことが多かったということです)
そしてそのうち、騒がれる前に言うことを聞くようになりました。
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私が「ピアノを弾くこと」が結構好きなんだなぁ、と自分で感じたのは20歳を超えてからです。
それまで、自分で弾くこともありましたが、自覚したのが20歳を超えてから。
なぜそんな鈍感になっていたのかは
空気を読んで弾いていたから
ではないのか。
(なぜ鈍感になっていたのかを考えたのは40歳を超えてからww)
ピアノに限らず、あらゆることに対して言われたことに素直になることで自分の周りや周りの教えに沿うことになり、
事が静かに進む
そう信じて生きてきたのではないか。
素直、ってことは
「言われる前にやって周りに褒められよう」
という成分が多く、自分を殺しているのではないか?
必要のないものまで、そうしてきてないか?
自分が二の次になっているから、好きかどうかわからなくなっていたのでは?
絶対に自分を曲げない彼を見ていて、改めてこれまでの自分の思考のクセを見直したりしています。
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「ねぇ、こんな時おれはひっぱたかれてたんだけどどうしようかねー」
私とは真逆に、
そこまで嫌なことはやらず、
特別強制もされず、
割と自由に生きてきた妻へヘルプ要請。
すると、
確かに腹立つね~
とか言いながら、
妻「空気なくなっちゃったの?」
子「うん」
※彼は最近、やる気がない、とか元気がないことを「空気がない」と表現します。
妻「空気入れたげようか?どこから入れようか?」
子「足からはいるの」
妻「じゃあ入れようね」
と一緒に足をバタバタさせてしばらくキャッキャして遊んで・・・
時間はかかったけど、そのあとは
子「空気はいった!」
ってちゃんと練習してくれました。
妻すげぇ
私は先生に囲まれて生活しています。
・・・またすぐ空気なくなったけど。