やりたいことを見つけようという言葉の呪縛
HR領域の仕事をしているからかキャリアや仕事についての相談を受けることがよくあります。
キャリアや仕事について相談を受けると少なくない方が「呪い」にかかったようにいくつかの言葉を発します。
「やりたいことがわからない」
「やりたいことがない」
「自分にしかできない仕事をしたい」
このnoteを読んでる方の中には同じように感じている人もいるのかもしれません。
ただ、私はこういった言葉はキャリアにおける「呪い」に近いと思っています。
(あくまで個人の所感なので、こういう考え方もあるんだなーと思ってもらえれば)
私は、個人起点で考えた場合、
キャリアについて大事なのは「何ができるか?」の1点に集約されると考えています。
どんなキャリアを歩むのか、どんな仕事をするのか、どんな経験を積むのか、は自分だけでは決められないからです。
当たり前のようですが、仕事を生み出す人(主には企業です)と仕事をやる人(主に個人)の需給がマッチしないと取引は成立しません。
仕事をやる人=個人が「こんなことをやりたい」と強く望んだとしても、その仕事をその人にお願いするかどうかは仕事を生み出す人が決めています。
仕事を生み出す人は、
特定の仕事を誰かに任せる時に「その仕事を最もできそうな人」に任せます。
もちろん個人の「やりたいかどうか」を加味することはしますが、やりたいかどうかだけでは決めることは少ないかと思います。
つまり個人にとって「やりたいことをやる」には「できることが増やすこと」が最短の方法になります。
キャリアという観点で考えた場合、
「できることを増やすこと」はプラスに働くわけですね。
そして、できることを増やすには目の前の仕事、目の前のミッションに対して向き合い、それをクリアしていくことの連続でしかありません。
経験したこと=できること、ではありません。
よく「私はジェネラリストだから」という人を目撃しますが、複数領域を経験しただけで、複数領域の仕事が「できる」わけではない人が多い印象です。
真のジェネラリストは複数の領域で、特定領域のスペシャリストと対等に渡り合える人だと考えています。
言い換えれば「スペシャリティのある領域を複数持っている人」と言ってもいいかもしれません。
やりたいことがある、やりたい仕事がある人は活き活き見えることがあるのは事実です。そして、実際にやりたいことを見つけそれに没頭している人は素晴らしいです。私もそういう方を見つけると全力で応援したくなります。
また、社会を見渡すと「自分がやりたいことを見つけよう」というメッセージにあふれてもいます。
しかし「できることを増やそう」というメッセージはあまり聞きません。
誤解を恐れずに言えば、キャリアに関して「目の前のこと、目の前のミッションに淡々と向き合うこと」が軽視されているとすら感じます。
会社を経営してみて実感しますが、
やりたいことがあるメンバーもやりたいことがはっきりしないメンバーも全く等しく尊い、と感じます。
会社にいる理由はさまざまです。
理念に共感している人もいれば、やりたいことがその会社にある人もいる、その会社の働き方が自分にとって都合が良い人もいれば、仲間が好きだから、付けたいスキルが身につくから、給与がいいからなど、多様な価値観の人が集まり1つの目的に向けて仕事をしています。
どれだけ多様な人がいたとしてもそれぞれがそれぞれのミッション、やるべきことに向き合い、それを乗り越えることで成立しています。
つまり、
自分がやるべきことに向き合う、真摯に目の前の仕事に取り組むことは十二分に尊く、それ自体が大きな価値があるものです。
テクノロジーの恩恵により企業でなくても個人であらゆることができるようになりました。
結果として「やりたいことがあり、それをやっている」個人が目立つようになりましたし、そういった強い個がロールモデルになっている時代です。
そういった時代だとしても「目の前の仕事、目の前のミッション」に向き合う価値が減るわけではありませんし、むしろこういった時代だからこそその価値は見直されるべきなのかなとすら考えています。
自分がやりたいことがあることは素晴らしいことですが、やりたいことがないからと言って無理にやりたいことを探したり、やりたいことがないことをネガティブに捉える必要は一切ありません。
もし、
やりたいことがない人や、自分だけができる仕事はなんだろう?と迷っている人がいたら、ぜひ焦ることなく「目の前の仕事、目の前のミッション」に真摯に向き合って全力で乗り越えてみてください。
それを繰り返しているうちにきっと何かが見えてくると信じています。
今日は以上です。それではー。
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