『アイケルバーガー(占領軍のナンバー2)とはじめて会った子供だった』久保利英明×堀威夫
久保利英明×堀威夫(ホリプロファウンダー)
2021年2月対談 vol.3
久保利「制服があったりとか、これは、やっちゃいけないとか。多様性とか、みんなそれぞれの個性を活かそうと思うと、みんな、ガツンガツンやられちゃうわけですよね。だから、つまんないんじゃないかな」
堀さんが生きた時代は、自分の家の周りにもともといたのはイタリア系とか、外国人が住んでいた地域、そこへアイケルバーガー(注:ロバート・ローレンス・アイケルバーガー)はじめとすると進駐軍が来て、その人たちと最初に会った子供は、私じゃないかと、おっしゃいましたけども」
堀「そうですね、僕は、生け垣の間から、怖いもの見たさで見てたんですよ。そうしたらね、ジープのボンネットに、軽機関銃二丁を据え付けてね、それが先導して」
久保利「ほお」
堀「あのカーキ色のセダンに乗った、そのアイケルバーガーっていうのが来ました。かっこよかったですよ。それまで、なんか戦争に負けて復員兵、よれよれの復員兵ばっかり見てたから」
久保利「よれよれ」
堀「これじゃ、勝てるわけないなあと。思いましたけどね」
久保利「そういう時代ですもんね」
堀「でも、彼らも敵国に来てるわけですから」
久保利「それはそうですね」
堀「えぇ。で、アイケルバーガー中将の官舎になった、西洋館の前には、不寝番の歩哨が立つわけです。これらと、一番最初、仲良くなるんです、我々」
久保利「チョコレートもらったりなんかしたんですか」
堀「あのね、レーションっていうね」
久保利「レーションね」
堀「四角い箱の、弁当ですね、アメリカの。だけど、あの中には、タバコが四本とか、コーヒーとかね、色々なもんが入ってんですよ」
久保利「うん。なるほど」
堀「ただ、食い物だけじゃなくて。それまで子供の役割っていうのは、父親のタバコを」
久保利「(笑)」
堀「行列して買ってくる、自分の番が来ると一箱買えて、二つ買うためには、また行列のしっぽにつかないきゃいけないという苦労をして。買って帰って父親に渡すとなんか唇が焦げちゃうんじゃないかと思うくらい、短くなるまで吸ってるわけ」
久保利「(笑)」
堀「だから、子供心にタバコって、ものすごく貴重なもんだと」
久保利「なるほど」
堀「思ってたんですね。ところが、今度はアメリカの歩哨の人たちは、3分の一ぐらい吸うとね、ポンポン捨てるんですよ、火が付いたまんま」
久保利「へえ」
堀「拾えば、そのまんま吸えるわけですね」
久保利「はい、はい、はい」
堀「だから、僕らの年代僕らの家の近所の子供は、みんな吸ってましたよ」久保利「(笑)」
堀「最初のうちは、目が廻ったり、気持ち悪くなったりするんですけど。でも1週間ぐらいするとね、うまくなる」
久保利「なるほど」
堀「それで、僕は、13からタバコを吸って、ま、実は20歳でやめた」
久保利「そうなんだ(笑)」
堀「だから高校時代は、タバコ吸ったの、かつて「右の者、不良行為につき、4日間の停学に処す。」」
久保利「停学 (笑)」
堀「なんて、かかげられてね」
久保利「なるほど、でも、20歳でタバコをやめたら、酒は今でも365日のんでるとおっしゃってますね」
堀「いや、当時ね、大学に入ってからね、ワゴン・マスターズっていうグループに入って、結構、売れてきて、地方巡業なんかいくと、大体当時は30日ぐらい東京に帰って来れないから」
久保利「ふーん」
堀「劇場の映画館で実演やると、当時、会場がないわけですから」
久保利「なるほど、なるほど」
堀「戦後の間もない時代だから。汽車で移動するとトンネル入るたびに、ガラス窓を下げないと」
久保利「ばあっと(笑)」
堀「(笑)煤だらけになっちゃうね、時代ですから。で、巡業から返ってきたら、なんか胃の調子が悪くて、医者へ行ったら、あんたみたいな仕事してる人は、酒かタバコか、どっちかやめたほうがいいよ」
久保利「うん、うん」
堀「何が怖かったかっていうと、結核なんですよ。当時、不治の病だから」
久保利「ああ、なるほど。はい、そうですね」
堀「それで色々考えてやっぱり命、惜しいしね。酒の上ですいませんって頭をかけるけど、タバコの上で」
久保利「ああ」
堀「言い訳には、なんねえなあって」
久保利「ならないからね」
堀「だから、タバコをやめたの、これも運がいいんですよ」
久保利「(笑)」
堀「こういう時代が来た」
【堀威夫 PROFILE】株式会社ホリプロファウンダー
1932年 生まれ(申年)
学生時代から、ワゴン・マスターズ、スウィング・ウエストなどでバンドマンとして活躍
1960年 有限会社堀プロダクション設立
1963年 株式会社ホリプロダクション(現 株式会社ホリプロ)設立
1997年 ホリプロ、 東京証券取引所市場第二部に上場
(2002年 東京証券取引所市場第一部に指定替、2012年 MBOにより上場廃止)
2020年 ホリプロ ファウンダー最高顧問を退任
舟木一夫、山口百恵、和田アキ子等多くのアーティストを育てる