【ダメだダメだと厳しく指摘していた会社から仕事の依頼が来たとき、どう思いましたか?】
【ダメだダメだと厳しく指摘していた会社から仕事の依頼が来たとき、どう思いましたか?】今回は、スタッフからの質問に答えていただきました。文・久保利英明
第一勧銀・四大証券事件と呼ばれた総会屋への利益供与事件は、他の事件と違って、総務の担当者ではなく、当時の代表取締役自らが手を染めていました。
私は、そんな野村證券は「反社」そのものであり社会の害悪だから「潰れてしまえば良い」とメディアでコメントしていました。
そんな最中、当時、野村證券の副社長で総会屋事件とは関わりのなかった斉藤惇副社長が、突然私の事務所(当時の森綜合法律事務所)に現れ、野村證券を根本から立て直すため、内部管理役員会を取締役会とは別に創設するので、そのメンバーになって欲しいと懇請されました。
「他の大証券会社や大銀行も同じ事をしていたのだから、野村を潰してみても、日本経済を危機に追いやるだけで企業全体の改革にはつながらない。むしろ他社とは比較にならないくらいの抜本的改革をして欲しい。自分も含めて、国内に居た役員は全員辞任する。米国野村にいて、一切関与していなかった氏家取締役だけが残って大なたを振るう」とのことでした。斉藤さんとは初対面でしたが、その責任感と捨て身の覚悟に心を打たれました。
私に大した力は無いけれど、辞めていく全役員が信頼する氏家社長が、全社挙げて過去と決別し改革すると言うなら、逃げるわけにはいかないと覚悟しました。やるべき事を主張して、改革が出来なければ、責任を取るつもりでした。
総会屋への利益供与のみならず、趣旨不明の交際費や多額の香典が目に付いたので、最初のうちは亡くなった顧客へ支店長が香典を持って行くことまで禁止しました。こんな事件を起こしたのだから、香典など無くても支店長が自らお悔やみに行き、葬式の受付の手伝いからご遺族のケアまですれば顧客が離れるわけはないと考えたのです。
なんでも金で済ませようとする、悪しき慣行を是正するための方便でした。程なく1万円程度の香典は復活させましたが、永年の慣行を反省させるためには必要なショック療法だったと今でも考えています。
結局、四大証券のうち、山一証券は巨額の飛ばし事件が発覚して自主廃業し、日興証券も不祥事を起こして解体され、野村と大和だけが生き残りました。
ガバナンスの機能不全や内部統制システムの弛緩は企業の信用を一挙に失わせ、命取りになるということです。論語あっての算盤であり、コンプライアンスなき収益は、砂上の楼閣です。
その後、野村證券は改組して野村ホールディングスが持ち株会社となり、指名委員会等設置会社になり、内部管理役員会は廃止されましたが、私は社外取締役として指名・報酬委員会の委員にもなりました。
社外取締役として、いくつかの不祥事の調査委員会メンバーとして活動し、内部通報制度の充実にも意を用いましたが、巨大組織の隅々まで全ての不祥事をあぶり出すことはついに出来ませんでした。
多くの企業が永年続いた不祥事に苦しんでいますが、日本企業のような縦割り組織では同調圧力が強すぎて、内部通報が十分に機能しないことが宿痾(しゅくあ)[骨がらみとも言える根治出来ない病気]とも言うべき弱点です。
独立性と情報力はトレイドオフの関係だから、社内情報に疎い社外取締役に不祥事発見機能は期待できない。ここでCEOの真価が問われる。
自らを縛る「内部統制システムの徹底強化」と「コンプライアンス違反の汚らわしい利益などいらない」と断言する気骨こそが会社を変えるのです。