久保利です。【スモン薬害訴訟/仮執行妨害】
久保利です。
50年前に参加したスモン訴訟の話を、
仮執行妨害の話を、
今改めてここに書くのはなぜか。
この国の企業は、沢山の教訓的な不祥事の辛酸を味わってきた。企業文化を根底から変える幾多の機会にも、遭遇してきた。それなのに、未だ多くの企業はコンプライアンス違反を繰り返している。
上場企業が社会の手本となる機会を失ってきたことへの義憤と情けなさが、この文章を私に書かせている。
スモンは「スモン氏病」と誤って呼ばれたが、SMONの正確な意味は
「subacute myelo-optico-neuropathyの頭文字であって、亜急性脊髄視神経症」のことである。私たちは、正確な情報を得る必要がある。それは過去も現在も変わらない。
当初スモンは、原因不明の下肢知覚障害の難病として、ウィルス性の病気と考えられた。京都大学の井上教授が、病原体となるウィルスを発見したとして「井上ウィルス」と名付けられたこともある。
患者さん達は、伝染病患者として社会から隔絶され、苦痛に堪えられず自ら命を絶つ人も少なくなかった。このウィルスであるという動きを、特に推進したのが田辺製薬であった。
そんな中で、薬害ではないかと疑問を呈したのは、訴訟を提起する前は、
東京大学医学部で講師を務めていた高橋晄正、ただ一人である。八方塞がりの中で、当時の弁護団は活動を開始したのだ。
しかしその後、厚生省の肝いりで、高名なウィルス学者である甲野礼作会長の下「スモン調査研究協議会」が設置されることとなり、多くの学者がスモンに取り組んでいった。最初に、椿康夫新潟大学教授が、緑便、緑舌から、キノホルムキレートを発見し、キノホルム原因説を公表する。
一方、ウィルス学者による井上ウィルスの追試は全て失敗に終わる。同協議会もキノホルム原因説を採用し、東京地裁を始めとする多くの裁判において、スモンは薬害であると、定着したのである。
『太陽よ沈むな!(前掲載参照)』は、スモン訴訟において、原告勝訴を命じた東京地裁の仮執行宣言に抵抗する、田辺製薬の卑劣な執行免脱作戦のことを書いている。その渦中で息をしていた私の怒りは、今も尚、心に留まったままだ。
ウィルスか薬害か、薬害が原因だと判決がくだる。やっと患者さんを助けることができる。一刻の猶予も許されぬ中、鉄条網の前に並ぶ者、段ボールの中の帯封のない紙幣、あの出来事はこうした流れの中で起きていたことなのだ。我々は、私は、これを絶対に許すことが出来なかった。
薬には、疾病を治療し、抑える効果がある反面、反作用として、薬害が皆無の薬品はないと言っても良い。
だから、薬品会社は、ジョンソン・エンド・ジョンソンのクレド(我が信条)に見られるように、「失敗は償われなければならない」という潔い義務感から損害賠償を是とする会社が、社会から評価されるのだ。
命と対峙する仕事である。この信条は当然のものだが、当然のものこそ守ることは容易ではない。容易ではないからこそ意味があるのだ。
(スモン関係製薬会社は、裁判上の和解が成立した患者への健康管理手当、介護費用の引当金を、今も尚、積んでいる。)
これも、私の原体験であり、この後の連載で書き記すことになる予定だが、総会屋撲滅で苦労したのも、日本企業の根腐れが原因だった。
利益供与罪の新設施行(1982年)から20年の月日を要したのだ。
世論の要求や法改正、というところまで持ち込んだのだが、企業のトップは、リーダーシップを間違った方向に発揮してしまう。正面から向き合わない会社が後を絶たなかったのだ。同業者と連携して警察の操作情報に気を配る横並び対応や、総会担当者に責任を押しつけ、尻尾切りをして切り抜けようとしたのである。
こうした日本企業の行動形態を知悉すればするほど、世界の趨勢となっているESGやSDGsへの取り組みについても、私は同様の危惧を抱いている。
社会の要求たる、
E:「環境対策」
S:「社会的正義の確立」
G:「ガバナンスの強化」に企業が本気で取り組んでいる気がしない。
弁護士や科学者やジャーナリズムもその動きを阻止するどころか追従しているようにみえる。その場逃れのお飾りスローガンで糊塗し、やっている感だけをまき散らして先送りしようとする姿勢が透けているのだ。
テーマこそ違えども、「50年間未だに変わらないのではないか」という疑惑は今も胸に澱のように溜まっている。
ガバナンスを充実させて、世界の最先端を走ろうとする数少ない日本企業もある。日本にSDGs旋風を巻き起こすのは、若き世代の役割だ。
米国のジェネレーションY(ミレニアルズ)世代と同様に、日本でも氷河期世代と呼ばれる世代が、旧態依然たる日本企業の体質を打ち壊さなければ、私のような後期戦中派(1944年生)は安心して後世に託す事が出来ない。