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『修習生第一号久保利英明38才』久保利英明×山田秀雄

久保利英明×山田秀雄(弁護士)対談vol.1

久保利「いやあ、山田先生」
山田「今日は久保利先生とお会いするので、つくりこんできました(笑)
久保利「(笑)ありがとうございます。帽子かっこいいけども、それだと」
山田「さすがにちょっとマフィアみたいな」
久保利「サングラスもしないといけないようなシルエットで」
山田「まずいですね」
久保利「素に戻って(笑)」

久保利「まあね。とにかく古い付き合いですからね」
山田「そうなんですよ」
久保利「そういう点ではね、もう他人とは思えないような感じで」
山田「そうですね」

山田「私が先生と会った時は、修習生で弁護修習というのがあって、生まれて多分2番目に会った弁護士が久保利さんだったんですよね」
久保利「(笑)」
山田「すごく衝撃的で、みんなに話すとウケるんですけど。先生に会った時に「自分は弁護士志望です」「君はすごく背が高いしまつ毛が長い。古来、まつ毛が長くて背の高い弁護士で大成した人間はいない」」
久保利「(笑)」
山田「言われたんですよね」
久保利「言ったよな(笑)」

山田「私とすればこれから弁護士に夢を持ってなろうと思ったら「大成しない」と最初に言われちゃったから(笑)」
久保利「(笑)」

山田「それはそれでトラウマになったんですけども、ともかく先輩の先生達から「久保利さんは普通の弁護士ではないから、君が会った弁護士の中で、あの人を基準に考えたら、不幸になるから」」
久保利「(笑)そうですか」

山田「「特別な弁護士なんだから背中を見て頑張りなさい」と言われたのは20代の最後で、実は、そのとき久保利先生はまだ38歳だったんですよ」
久保利「10歳ぐらいだよね、違いはね」

山田「昭和57年ですからね、38歳だったんですよ。衝撃的でしたけども。本当に先輩の先生たちが言うように、ずっと背中を見ながらあっという間に40年が経ちました。おかげさまで、まつ毛が長くて背が高くても人並みには一応なれたんじゃないかなというふうに」
久保利「いやいや、大成したと思いますよ(笑)」

久保利「僕の見通しも狂うことがあるから」
山田「いやあ、とんでもないです」
久保利「あれからほんと40年経ったんだぁと思うとね」
山田「そうですね」
久保利「不思議な気がしますよね。今年、僕77になりますからね。この誕生日で」

久保利「それにしてもね、森綜合という事務所で」
山田「ええ」
久保利「僕は最初の修習生を採ると」
山田「はい」
久保利「その前も、僕自身、若手を教育するということに関心があったんだけれども」
山田「はい」
久保利「みんな古曳先生とか本林先生とかについてやっていた。僕が責任をもって修習生を預かるというのは山田先生が初めて」

山田「はい、第1号で光栄だったんですが」
久保利「失礼なことを確かに言ったけど、だけどね、だけどその身長はさておきね、187?」
山田「そんなにないですよ。今はもうだいぶ縮んで」
久保利「縮んだ?(笑)」

山田「3cmぐらい。2cmぐらい縮みました(笑)」
久保利「じゃあ、今は175それにしてもね、185(笑)」
山田「はい(笑)」

久保利「初めて見た時にこんなかっこいいやつが弁護士になっていいのかと」
山田「いやいやいや」
久保利「なんかもう一つ弁護士らしさというか、ようするに弁護士ってどういう商売ですかと言ったら、いろんな意味で、うまくいかなかった人たちがクライアントになって、その人たちを守るためにやってる。そうすると法廷なんかだと、とにかく机をバーンと叩いて立ち上がって「異議あり!」っていうのが商売なわけですよ。そういうときにあんまりでかすぎたり」
山田「(笑)」
久保利「眉目秀麗っていうのは」
山田「(笑)いやいや」

久保利「これはちょっと似つかわしくないんじゃないかと思ったもんだから、大変失礼なことを言ったけども、ただ」
山田「いやいや、挑発に、私はめげるだけでなくて頑張ろうと思って、そのとき、ともかく背が高いんだから、普通の人より、ずっと倍ぐらい腰を折って挨拶しようと」
久保利「(笑)」

山田「「君はまつ毛が長いから、交渉してても、交渉してるんではなくて、女の人を口説いてるような目つきに誤解されるから、カッと目を見開いて相手をにらむ目力をつけろ」ということも言われました。結構、あの目力は」
久保利「ついてきましたね」
山田「ついてきました」

山田「久保利先生の薫陶も大きかったんですけれども、あの当時の森綜合(法律事務所)というのは、本当にすごくて。森・濱田松本(法律事務所)の前身で、森綜合まだあの時9人ぐらいだったんですね」
久保利「そんなもんでしょうね」

山田「はい。なんて言いますかね、一番元気がいいというときで、それこそ久保利さんが30代で、古曳さんはまだボスで君臨してるような時代で」
久保利「だって、僕と古曳さんて、7つしか違わないんだからね」
山田「ああ、そうですね。まだ40だから」
久保利「彼、昭和12年生まれですから」

久保利「みんなそういう意味で青年だったんですよ」
山田「いやあ、すごかったですよ。人生で一番大事なことは幼稚園の砂場でみんな学んだという言葉がありますけど、

私は40年近く弁護士やって、かなり大事なエッセンスって、あの4ヶ月の弁護修習で学んだような気がするんですよ。大げさではなくて。ともかく不夜城って言われてましたけど」
久保利「(笑)」


山田「夜中、電気が消えているときがないんですよね。誰か必ず徹夜をしているということと、僕がネーミングして意外とウケたんですけど、飯場(はんば)みたいな弁護士だって言ったら「飯場弁護士」「飯場弁護士」ってみんな喜んで、わりと電話でも怒号する人が結構いて、みんな相部屋なんですよね」

久保利「もちろん、みんなね。ドーっと集まって、密ですからね」
山田「そうなんですよ。それととても脅威だったのは、合議」
久保利「うん」

山田「合議というのは、事務所の事件、仕事をどういう風に進めていくかということを夜、協議するんですけども、その協議する時に一番若い弁護士が担当して、色々説明するとボコボコに攻められるわけですよ」
久保利「(笑)」

山田「本当にちょっと泣きべそを」
久保利「泣きべそかく人いますね」
山田「名前はあげませんけど。そこで「判例はどうなっているのか、調べたのか、調べてないのか。それまた来週もう一回合議やるぞ」みたいな話で」
久保利「いや、来週合議ならまだいいんだよ。今からそれ早く調べて持ってこいと」
山田「そうなんですよ」

久保利「当時はインターネットなんかないから」
山田「そうなんですよ」

久保利「『判例時報』というやつを、ダーッとある中から必死になって索引からベースにして」
山田「だから僕は、ビートルズだ、ビートルズだとよく森綜合のこと言ったんですけど、久保利さんも、本林さんも古曳さんもね、福田さんもね、本当にそれぞれが違う方向での才能を持っていて、喧嘩みたいなこともする、論争もする」
久保利「いや、喧嘩だよね、ほとんど」


山田「論争しながらでもやっぱりどんどんどんどんクライアントを吸収してって、大きくなっていく。

そのとってもコアな時期を見せて頂いて。こうやって法律事務所って、大きくなっていくのかなと感じていました。それで、ゆくゆく森・濱田松本、日本で一番大きい事務所の一つに発展していった。

草創期、発展期ですよね。久保利先生が30代後半から40代になる。本当に忙しくて、元気いっぱいで、合議というのは夜やるんですよ。食事してそこでビールも飲み。で、ワイワイ」
久保利「飲んでからだよな、だいたい」

山田「これで帰れるかなと思うじゃないですか、修習生は。それから事務所に戻って、夜7時、8時、9時から合議があって、で、夜中近くまで」
久保利「エンドなしだもんね」

山田「普通はそこまでやらない。で、それやるのは人生観とかね、それからなんだろうな、その事務所がどういうふうになっていきたいかという志とか、そういう目標で決まっていくんでしょうけども、あの時の森綜合というのは、ものすごくオーラいうか、光り輝くパワーみたいなのがあって、そこにいられたということも、やっぱり僥倖でしたね」

久保利「僕が入ったとき4人目ですよね」
山田「ええ」

久保利「森先生が亡くなっちゃうという、こういう時で。古手の3人、僕よりも7期8期古い先生たちというのは、上場会社いっぱい持ってたわけでもないしね。上場会社って一つもなかったんじゃないかな。上場会社の子会社1社ぐらい、そんな感じですよ。ほとんどは倒産事件でしたから」
山田「えぇ」

久保利「倒産事件は日常茶飯事で、債権者集会から何から、全部やって。手形の取り立てとかそういうやつらまで」
山田「そうですね」

久保利「みんな来るわけですから。僕はねその時、なんでこんなことやってなきゃいけないのかなと思った時もあったんですよ」
山田「あぁ」

久保利「そのときに、河合弘之君に、イヤになっちゃうんだよなぁ、もう明けても暮れてもヤクザ者みたいなやつに怒鳴られてさあ」
山田「(笑)」
久保利「違うんだよと「あそこに集まっている人たちは、全部倒産予備軍なんだと」」
山田「なるほど」

久保利「倒産予備軍の人たちがなぜ来るかと言うと、債権者だから来るんだけども、この債権ひっかかって回収できなかったから、自分がつぶれるっていう連鎖倒産の相手方」
山田「はいはい」
久保利「ということは、この人はすぐに次の弁護士が欲しいんだよ」
山田「必要になる」


久保利「ということは、今この債権者集会をピシッとしのぐと、あっちから依頼が来るんだよ」
山田「なるほど」
久保利「だからここはね、舞台で自分の腕前、切れ味を示すそういう場なんだと」
山田「そういう説明されたんですね」

久保利「「僕は先輩からそう言われた。だからやる気が出たんだ。君もそうじゃないのか」というふうに言われてね。そうかもしれないなあと」

山田「あの頃は倒産をやって、ニューミュージックの仕事をされて、株主総会指導というとこが、ちょうどブレイク寸前みたいな時期だったんですけど、全部、後から大ブレイクして、久保利先生の一括上程方式でね、みんなそれを真似して、他の弁護士がね、あの株主総会指導で」
久保利「出来るようになったんだよね」


山田「そのあと知財の問題が出て」
久保利「はい」
山田「知財についても、やっぱりそういうエンタメ系の問題があったりとかね」
久保利「エンターテインメントとかね」

山田「その意味では、今4万人弁護士がいますけど、その人たちが仕事にありつけるようなマーケットを次々に開拓していったのは、モリソー(森綜合法律事務所)とかモリハマ(森・濱田松本法律事務所)ということではなくて、やっぱりダントツに久保利さんなんですよね。そこはやっぱり瞠目すべきというか、すごいなあというのを本当に」
久保利「いやいや(笑)それほどのことはないけれど」


山田「お世辞ではなくそう思っていて、そう思っているけど、弁護士というのはみんな自分が一番偉いと思っているし、なんていうんですかね、ジェラシーみたいなのもあるから、なかなかそこは素直には認めてくれないんですけど、

40年ずっと側で見ていると、やっぱりすごいところの一つはそれです。それはもう本当に圧倒的です」

久保利「なんか相乗作用みたいなものでね。みんな若いのと、事件に勝ちたい、あるいは依頼者の為になんか正義増やしたい」
山田「そうですね」
久保利「そうなってくるともう寝てる暇なんかないというかね」

久保利「そういう点で修習生時代というのは、あの4ヶ月、山田さんが来てくれたおかげで、うちの事務所も活性化したところもあるんだよね」
山田「いや、そんなことないと思います」
久保利「だって修習生に弱いとこを見せられない」
山田「あー。なるほど」


久保利「こんなに頑張ってるんだぁというのを見てもらおうというのは、ありましたよね」
山田「覚えてます。やっぱりともかく「寝るな」と。死んだらいつでもずっと寝てられるんだから、ともかく遊んでてもいいから起きてろ。で、いろんなもの見ろ」
久保利「そう」


山田「ということを言われて、それ一生懸命守りましたけど。やっぱりたくさんのものが見れたし、あの修習時代は濃密で、本当にたったの4ヶ月とはいっても、ものすごく密の濃い素晴らしい時間でしたね」
久保利「そうだよ。モットーは「寝るな」だもんね」
山田「そうです、そうです」
久保利「起きてれば何かを学ぶ」
山田「そうですね」

久保利「どんなことをやってもいいんだと」
山田「鯨飲馬食せよと。明日の朝は、早いぞと(笑)」
久保利「(笑)寝るなだからね。8時半なんていうのは上等なほうですよ」
山田「ほんとうですね」

久保利「だからね、そういう野武士集団とも言われたんだけど」
山田「そうですね。野武士集団って言われてましたね」
久保利「そういう事務所があってそこで鍛えた結果として、今の僕なんかはあるというふうには思ってますけどね」
山田「いや、まったく」

久保利「若くてパワーがあって、そのエネルギーを全部投入するというくらい、弁護士って面白い仕事だよね」
山田「ほんとにそうですね」
久保利「ということは学んでくれたと思うんだよね」

山田「そのとおりだと思います。古曳(正夫)先生からも薫陶を受けて、古曳さんがわりと早くにリタイアされましたよね。61、62ぐらいでリタイアされて。シルクロードの方の研究にいきましたけれど。彼に、私が弁護士会の広報誌の編集長をやっているときに、弁護士の定年という」
久保利「はいはい、ありましたね。有名な特集がね」

山田「わりと評判になったんですけど。その時に定年のない弁護士で、早々に定年をした古曳先生の話は絶対聞きたいと思って、古曳さんに話を聞いたら、実に興味深かったんですが「山田さん、弁護士ほど心躍る魅力的な職業はないんだよと。中途半端なことで、定年とか辞めるというのはそれはバカだと。辞めるべきじゃないと。ただ、たとえば、本当にゴルフが好きで、シニアプロになって優勝したいというぐらいゴルフが好きだったら、定年でね、そっちに行ってもいい。あるいは世界中のすべての秘境を全部探検するとか、それぐらいの志がね、あって」
久保利「そっちの世界のプロになるというのならね」

山田「いいと、それは。ただそうじゃなくて、少し楽したいとか。弁護士の仕事は、なかなかクライアントとの関係がしんどいんで、もうちょっと晴耕雨読でのんびりしたいっていうような人が、弁護士辞めたらそれはつまらんよ。青い鳥なんかいないよというふうに言われました」
久保利「そう書いてあったね」


山田「あれはね、僕はね、すごく心にささりましたね」
久保利「弁護士になってね、こんな面白くて世の中の役に立つ、そういう仕事を、まぁ諦めざるをえない、体調不良とかね、そういうのはしょうがないけども、元気だったら、これはやっぱり楽しい仕事だなあと」
山田「そうですね」

【山田秀雄 PROFILE】
弁護士
1952年生まれ
慶應義塾大学法学部法律学科卒業
筑波大学大学院経営政策学部企業法学専攻科修了
1984年 弁護士登録
コメンテータとしても活躍
ハラスメントという言葉が浸透する前から
様々なハラスメント問題にも取り組んできた草分け的存在

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