『人生は波乱万丈 映画化するとしたらどの時代にフォーカスあてますか?っていうところを聞いてみたいです(監督)』久保利英明×堀威夫
久保利英明×堀威夫(ホリプロファウンダー)
2021年2月対談 vol.4
【若気の至り】
堀「僕、青春とちょっとリンクするとこがあるんだけど、若気の至りっていうのが好きなんですよ」
久保利「うん、うん」
堀「要するに、若気の至りっていうのは、どっちかっていうとネガティブのように使われることが多いんですけど、ものすごくポジティブなことではないかと。ただ、そのために失敗しちゃうことはあるんですけども、そのエネルギーたるや、年とった人間には絶対できない」
久保利「なるほど」
堀「僕はいま絶対できないんですけど」
久保利「(笑)」
堀「いくら青春だって頑張ってもね。若気の至りを大事にしろと」
久保利「だから、いま若気の至りの人があんまりいないから」
堀「いないのよ。だから、訳知りになっちゃってんだよね、みんな」
久保利「ねえ、若気の至りっていうのは、結局はもういっぺんチャレンジするっていうことでしょ。あのときは失敗した。あれはもうちょっと知恵を使ってやれよ。っていうのが、たぶんそっから出てくるんですよね。雪辱っていうのは」
堀「だから、あとで冷汗三斗みたいなことって振り返ってみればいっぱいあるんですよ」
久保利「そりゃそうですよ」
堀「でも、それは若気の至りがそういう行動をやって、運良くそれで成功したやつが生き残ってると」
久保利「そこで死んじゃったやつはね、チャレンジができないわけですよ。再チャレンジは。だけど若気の至りではそんなには死なない。っていうのは僕の感覚ですけどね。命まではとられないと。少しはぶん殴られたり、どやされたりはするかもしれないけど。そこで反省して新しいことを考えれば。そういう人がいないんですよ」
堀「そうですね。だから、ネガティブに使うことに慣れすぎてるっていう警報もあると思うけど」
久保利「僕は、あんまりネガティブな言葉だとは思ってませんでしたんで」
堀「あっ、それはね、久保利先生だからですよ。レアな(笑)」
久保利「(笑)レアですか。ようするに人にね、失敗して謝るときに、若気の至りで申し訳ありません!って言うと、しっかりこれから勉強してそんなことしないようにしなさいねって言ってもらう時に、若気の至りっていいよなと。酒の上の話と若気の至り」
堀「ふふ (笑)」
久保利「謝罪の仕方ってあるんですよね。それはいいと思いますけどね」
堀「「今時の若いもん」っていう言葉は、紀元前からあるんですってね。なんかの本で読みました」
久保利「あるでしょうね」
久保利「年寄りって、自分の若い時のことそんな正確に覚えてないんで、今のままだったら、今のまま若くなってれば俺はもっとかしこいっていうことを言いたいだけなんだと思いますよね。若いっていうのはそういうことですよね」
(監督)「人生は波乱万丈、映画化するとしたらどの時代にフォーカスあてますか?っていうところを聞いてみたいです」
久保利「さあ、切り口はどこにしますか、映画化の。でも、全部、全部ですね。一気通貫ですよね、堀さんの場合」
堀「僕、仮に自分の人生でフォーカスされるとしたら、なんだろ。やっぱり、株式の上場の時かなあ」
久保利「あーー」
堀「まったく、酒の席かなんかで、何の準備も裏付けもなくて喋ったこと、ある日、週刊新潮か文春のこんなちっちゃい記事に載ったんです」
久保利「へえ」
堀「ホリプロが株式上場を考えてるらしい。それは多分音楽記者の、まあ、なんかアルバイト原稿だと」
久保利「埋め草ね」
堀「なんか埋めるための。それを読んだ野村證券の公開引受部の人から電話かかってきたの」
久保利「あらあ」
堀「で、堀さん本当にやる気かって言われて、口に出しちゃったんだから」
久保利「(笑)」
堀「「何か準備してるか」って言うから「してないの」って言ったら「してないじゃダメなんよ、じゃあ、野村證券から部隊を送ってみてやるから」と言われて、来た。「ともかくね、お宅には仕入勘定がありませんね」って言われたんですよ、まず」
久保利「なるほどね(笑)」
堀「ないんですよ確かに。そういうとこから始まるわけですよ。で、兜町の物差しと全然合わないわけですよ」
久保利「そりゃそうでしょう。だって一社もないですもんね、その時」
堀「それで、僕役員連れて箱根かなんかで合宿したりして。言ってみれば、もしかすると作文みたいな、すごい上場するためのその資料を作る。で、ある日、田淵さんっていうのが当時野村證券の。あの小田淵(こたぶち)の方大田淵じゃなくて、が社長だったんで。「昼飯、堀さんごちそうするから」って。で、
「田淵さん、僕ね、なんかね、世の中に申し訳ない気がすると。ほとんど作文みたいなもんですよと。嘘ではないんだと。こういう欲望も理想も希望も持ってるんだけど、何を根拠にそれ言えるのかって言われると、何もない」と。
そうしたら「堀さん、私が実は現場やってる頃は、スーパーマーケットやなんかの上場みんなやったんだよ。みんな同じでした。何かあったら一緒に謝ってあげますよ」」
久保利「(笑)」
堀「(笑)思い直したことがあった」
久保利「いやあ、だって何もないですもんね」
堀「何もないんですよ」
久保利「虚業と言われちゃうと虚業なんだけど、だけどそれを実業にしていくっていうこのプロセスが、逆にいえば上場ができたからなのかもしれないし、そういう根っこがあったから上場が認められたんです」
堀「昔、竹中労(たけなかろう)っていう」
久保利「いましたね」
堀「彼が、プロダクション芸者置屋説って言ったんですよ」
久保利「ありましたね」
堀「ものすごく僕ね、反発してね、冗談じゃないと思ったのもエネルギーになりましたね」
久保利「あれはとんでもないことを平気でバンバン書く人で、ああいう人がいなくなっちゃったからさみしいけどね。なるほどね」
堀「逆にそういうネガティブな見方が、こっちのエネルギーになることもある」
久保利「わかります、わかります」
それがちゃんと二部上場にいって一部上場にまでいったわけですから。いくらなんでも一部に行く時に中身空っぽで、作文っていうかそんなもんでいくわけないから肉をつけていったんですよ」
堀「株式公開の時に、兜町記者クラブで記者会見。芸能記者は入れないと言われました。だからしょうがないから2部でホテルで別にやったんですけど、
兜町の記者会見では、病気とかいろんなリスクがあるんじゃないかと言われました。そんなこと言ったらね、たとえば製薬会社、考えてみてくださいと。悪気は全然ないんだけども、たとえば、ある新薬を開発した、売り出した。しばらくしたら、副作用があるっていうんでやめることっていっぱいあるでしょ。悪気は全然ないんだから。それから考えれば我々の方がはるかにコストは、リスクは少ないと。
例えば、映像に固定する、音に固定する、そういうことによってリカバーできるじゃないですかって言ったことあるんですよ」
久保利「当時の兜クラブ、今でもそうだけど、兜クラブっていうのは、皆そういうこう、がんじがらめの色んな規制に支配されていて、内心ではきっとホリプロに上場されると自分達のステータスが下がるぐらいの」
堀「そうです、そうです」
久保利「あったんじゃないでしょうか」
堀「事実そうだと思います。終わって今度東京プリンスで芸能記者を入れてやったら、彼らが書く記事はね、翌日はもうスポーツ紙にこんなでかく出るんですよ。兜町記者クラブ、日経新聞だとこんなもんなんだよ」
久保利「そうでしょうねえ」
堀「で、ああやっぱり、まだ認知されてねえんだと」
久保利「ははは (笑)なるほど」
堀「認知されるために株式上場をしようと思って、一生懸命やったら、やっぱり認知されてなかったんだと思い知らされましたよ」
久保利「でも、それはまあ上場した瞬間、あるいは店頭公開した瞬間そうかもしれない。でももう完全に一部上場で、定してきたっていう時には、むしろ、ホリプロ、なんで上場廃止すんだよと。なんでMBOなんかやるんだよという反対論がいっぱいありましたよね」
堀「一部上場した時に、よしゃいいのに、野村證券のいくつかのセクションにわかれてる、新日鉄やなんかが入ったとこにいた、そうしたらね、ライオンの群れに、檻に猫が一匹はいってきて走り回ってるって言われたの(笑)」
久保利「世の中、どんどんそういう重厚長大型のところからソフトにシフトしてるわけで、上場してるとかしてないとかっていう問題よりは、存在感はどこにあるんだっていうことが、問題になってきてて、
そういう時代的な変化の中でいうと、僕は、堀さんの見通し、上場して一部まで行った、だけどこのコストって本当に上場していることの成果あるいは期待というのとペイするのか、というとこでおやめになるっていう。そういう会社っていうのはこれから増えてくると思うんですよね。だから問題なので。
もっとソフトの株価が上がって、調達ということだけではなくて、いろんな意味でこう、プラスになるようなそういうことをしないと、僕はあの、証券取引所の社外取締役やってるんですけども」
堀「ああ、なるほど」
久保利「それでほんとにいいのかと。ようするにあまりにも堅いこちこちの、昔の役所仕事みたいな感じだった時代からは、ずいぶん変わってるんで。
ほんとに放っておくと証券取引所なんかいらないよ。みんなが仮想通貨みたいなやつでマーケット作っちゃうからっていうふうになるかもしれないんで。
堀さんみたいに、だからやめちゃうっていう風に行かさないよう、なんかメリット、いい話はマーケットに上場するときにないのか。
アメリカかなんか見たって、本当にまだできたばっかりの会社、それなのに時価総額をみると何兆円という話になる。マーケットってそういうもんなんだというふうになってくると、夢がありますよね。
いやあホリプロがすごいぜ、時価総額3兆円になったぜ。みたいな話になってくると、みんな、おーすげーなホリプロって、株買おうよとこういうことになると思うんですよね。その株を作って売ってる会社なんですよと。
実態がどうだからこうだから、そんな話じゃなくて、ここに夢があるでしょ、こういうまさにこの「青春病」の人が、みんな」
堀「(笑)」
久保利「感心するような、そういうマーケットを僕は作ってみたいと思いますよね。それでいいんじゃないか。金なんてどうせ現実に持って使ってなんぼの話であって、みんなあれ仮想通貨ですよね、お金なんていうのは。全てが」
堀「そうですね。よく考えればね」
久保利「そんなもんが実態があるわけでもなんでもないんで、もう少し、夢だとか、仮想だとか、理想だとかっていうものにシフトするような考え方を日本中がしないと、このままではどうもやたらかたい頭のまんま、滅びていっちゃう日本と日本人ということになりはしませんかねぇ」
堀「基本的には、古い歴史のある兜町っていうとこが、物、唯物論なんですね」
久保利「唯物論です。はい」
堀「基本的にね。だから夢とか希望とか理想なんか言ったって、駄目だよ」
久保利「でもそれに一番価値があるんですよ。みんな、いまGAFAなんて言われてるやつは、全部夢を実現してるわけじゃないですか」
久保利「なんか、実体論とか、唯物論とか、それだけでものを考えていたら、世界の動きはまるで違うようになっちゃうんじゃないかなって心配しますけどね。
だから、そういうことを90歳になろうとする堀さんと、もう、喜寿を終わってもうすぐ80になるっていう、この二人が言ってるっていうのは、何とも悲しいというか、楽しいというか」
堀「ふふ (笑) 」
久保利「今の若い者がダメだと言ってるつもりはないんだけど、みんな、それやっていいんだよと。そういうことを言ってきた人が、若気の至りで色んな事やってきた人が、学校停学になって張り出されたようなその中学生が、ここまでになってるんだから。世の中ってあんまり馬鹿にしたもんでもないよと、ビビることもないよと。やりたいようにやりなさい、結果はどうなるかも、皆さん分かりませんが、やってみなはれっていう、僕は、言いたいんですよね」
堀「そうですね」
<対談を終えて>
久保利「どうもお疲れ様でした、ありがとうございました」
堀「なんの役にも立たない」
久保利「とんでもない。知恵のかたまりですよ」
堀「いやいや。とんでもないです」
久保利「7年生まれの申って、異色の人が多いですよね。面白い話で参考になりました」
堀「とんでもない」
久保利「私もなんとか、あとを追いたいというふうに思います」
堀「釈迦に説法するつもりは毛頭ありません」
久保利「ありがとうございました。是非、これからも奥さんもお大事にして、しっかり長生きをお願いします」
【余談】肩書をおたずねすると、一言「天下の素浪人!」
堀「ファウンダーって考えた時に、社主とか、名誉会長とかいろいろあるじゃないですか。プロダクションにあわないなあと、で、ファウンダーに」
久保利「おれだって、日比谷パークのファウンダーだもん」
堀「おれの場合は、フアン(不安)だー、だけど」
(スタッフ)1階の鏡の「いつも、いい顔」これ撮らせていただこうかと。
堀「運の巡り合わせを、自分に有利に働かせることはないかと思って、下世話に考えた結果、あの「いい顔つくろう」になったの。
いつも言ってるの。勝利の女神っていうのは、お通夜の番みたいな顔をしてるやつのところには、絶対、微笑まないんだと。
家から出るときは、だいたい洗面所にはどの家も鏡があるから、仕事してる以上、嫌なことは当然あるからね。それを、こうちっちゃな字で書いておく。
今度は会社に来て、入って、もう一回あれ見たら、気づいたら、もう一回再チェックしてくれと。
言ってるだけなんだから、気が付かない人は気が付かなくていい。あんまりでかく書いてない。なんとなく顔のメンテナンスって、化粧じゃなくてあると思うんですね。意識の持ち方として」
スタッフ「勉強になりました」
【堀威夫 PROFILE】株式会社ホリプロファウンダー
1932年 生まれ(申年)
学生時代から、ワゴン・マスターズ、スウィング・ウエストなどでバンドマンとして活躍
1960年 有限会社堀プロダクション設立
1963年 株式会社ホリプロダクション(現 株式会社ホリプロ)設立
1997年 ホリプロ、 東京証券取引所市場第二部に上場
(2002年 東京証券取引所市場第一部に指定替、2012年 MBOにより上場廃止)
2020年 ホリプロ ファウンダー最高顧問を退任
舟木一夫、山口百恵、和田アキ子等多くのアーティストを育てる