『原稿忘れて咄嗟に出ちゃった』久保利英明×濱田邦夫
2021年6月対談vol.4
久保利「話が佳境に入ってまいりました。先生が85年間生きてきて、大切にしている想いとか言葉は何ですか?」
濱田「それはですね「今ここに」という」
久保利「うん」
濱田「ちょっと禅の問答みたいなんだけど」
久保利「はい」
濱田「「今ここに」というのはね、英語で言うと「Here and Now」と言うんだよね。語順が違うんだよね、なんで違うのかわからないけど」
久保利「「今ここに」うん」
濱田「「人生というのは今しかないんだ」よく言われることわざです。「今日はあなたの残りの人生の中で一番若い日ですよ」という言い方があるんですよ。そう言われるとそうかなあという気がしますよね」
久保利「なるほど」
濱田「未来というのは今の連続でしかない。ということで、そのうちにとかいつかっていうのは絶対に来ない」
久保利「来ない。来ないんですよ」
久保利「また、近いうちに飯食いましょうみたいな」
濱田「そうそうそう、それは社交辞令なんだけど」
久保利「食ったやつ、みたことない」
濱田「じゃあ、今、行こうよと」
久保利「ねえ」
濱田「この10年ぐらいでしょうか、特に思うようになりました。過去、ああすればよかったこうすればよかったというのは、過去はですね、絶対にひっくり返らない」
久保利「そうですね」
濱田「自分がやったバカなこととかですね、いろんなことをグズグズ言ってもね、つまり負のマイナスのスパイラルになって、下へ落ちていくだけですよね」
久保利「うんうん」
濱田「ですから、それはやはり避ける。避けるべきというかね」
久保利「意味がないもんね」
濱田「だって、過去は変えられないという言い方が」
久保利「ありますね」
濱田「タイムマシンで過去を捏造しようとかね、そういう人もいるかもしれないけど、そんなことにエネルギー費やすよりは、今。今が連続してる将来ということですね。今やってることが繋がって生きていくということですよね」
久保利「先生、ゴルフも好きですよね」
濱田「先生と、前にやったことあるね」
久保利「ありますよ。僕が二弁会長選挙に出るっていう時に各派の人を集めて」
濱田「(笑)」
久保利「誰も付き添いはいないのかと言って、僕がついていってやろうと言って元最高裁判事が付き添ってくれて、そのゴルフ会に突然現れたんですよね」
濱田「二弁の会長っていうのは、会派っていう」
久保利「グループが」
濱田「あって、順繰りではないんだけれども、今年はこの会派からという順番があって、その会派の主催のゴルフ会に、私がその前に我々のグループ、紫水会っていうんですけど、4つの水が」
久保利「紫の水ね」
濱田「紫ですね、紫の水という。そこで司法改革の年だっけ、先生が会長になるの」
久保利「そうです。その年の選挙です」
濱田「大事な時だから、これは我が紫水会からも出すべきで、久保利さんを会長に出そうじゃないかと言って、私が焚きつけたというか」
久保利「(笑)いやいや」
濱田「言った手前、殴り込んだよね、あれね。気の毒なことした某クラブの某候補はですね、本人が翌二弁の会長に」
久保利「出るもんだ」
濱田「と思ってたところが、とんでもないやつがきて2人で荒らしまわって、それで結局この人が会長になっちゃった。二弁の。(笑)」
久保利「(笑)掟破りですよね」
濱田「掟破りです。そうそうそうだね。ほんとにね。でも面白かったね」
濱田「久保利さんが日弁連の会長に出た時には、私最高裁にいたんですよ」
久保利「運動ができなかった」
濱田「それで運動できなかったんだけれどもね。落っこちゃったんですよね」
久保利「もっと大勢の弁護士が多様性をもって国民のために働く。一体弁護士が増えて国民が何を困るのかというのは、僕にはわからないですよね」
濱田「いわゆる弁護士増員論っていうのは、久保利さんや私は少数派なんですよね、残念ながら。それから日弁連という組織自体が官僚化しちゃって」
久保利「そうですね。弁僚って言ってますけどね」
濱田「だからそこはなかなか難しい問題」
久保利「ただそれずっとやってると、結局弁護士が国民から信頼感を失う」
久保利「結局最後は、国民にツケまわってくるんですよね」
濱田「そうですね。能率とかそういう需要に応じて人を増やせばいい」
久保利「今はおかしいですよ」
濱田「おかしいよね。後手後手になっちゃう」
濱田「今、まさに後手になってる。常日頃の感染症対策、ワクチンが何で日本でできなかったのかというのよくわかんないんだけど、なんで」
久保利「要するに予算全部削ったからでしょう。アメリカは戦時だからと何兆円かぶちこんですぐやれーと言った。日本は全然それをやらなかった」
濱田「やっぱり、アメリカのシステムというのは色々変な人が大統領になったりするおかしなところはあるけれど、爆発力というかすごいよね」
久保利「あっという間に」
濱田「あっという間にやるでしょ」
久保利「変えちゃえば直る」
濱田「日本はあっという間に何もやらない(笑)」
久保利「もっとやらない人が出てきちゃうという(笑)」
濱田「だから日本も滅び、、、滅びるべくして滅びるならそういっちゃなんだけど、私は逃げきっちゃう」
久保利「まあ、逃げきっちゃう」
濱田「久保利さんも危ういとこだけど(笑)」
久保利「僕は逃げ切るわけにもいかない。むしろ滅びるというかダメになるならもっと早くダメになって」
久保利「そうすれば僕の孫ぐらいのやつは、なんとかなるかもしれないから。このままズルズルやっていて、もう30年、これ40年50年ずっと続いていったら、立ち上がれない疲弊した国になってしまう。
やるならこの1年オリンピックやめー、何もやめー、こんな落ちぶれちゃったんだ、大変だーって、これ非常時だって本気で思って、じゃあどうしたらいいかというのを早くやったほうがいいと思うんですよ」
濱田「そういう当たり前のことを当たり前に出来るような組織に日本国全体をするというのをね。弁護士集団から」
濱田「インターネット上で発言ができるというのは、良い面と悪い面とがあって、人の足を引っ張るようなところでめちゃくちゃマイナスのところも」
久保利「そうですね」
濱田「出てきてはいるけどまともな意見も言う人もいる」
久保利「日本の村社会で言うと人の足を引っ張ることがみんな面白い、おいしいというふうに思う」
久保利「その文化を早く変えてもう偉くなった奴はどんどん褒めて、ガンガン頑張れっていう、そういうポジティブな生き方に変えないとダメだろうなあと思いますけどね」
濱田「私も余生という感じは全然しませんけれど」
久保利「しませんね」
濱田「(笑)」
久保利「余生なんかありませんよ(笑)」
濱田「なんかその陰謀を企みますか(笑)」
久保利「ねえ。ひとつ」
濱田「つまり、何か具体的な方策でですね、少しでも日本の社会の仕組み、社会経済の仕組みを変えるようなきっかけになるようなことをね」
久保利「どんどんやっていかないとね」
濱田「ポジティブなことやろうよ」
久保利「面白いことをね」
濱田「やりたいね(笑)」
久保利「やりましょうよ(笑)そういうふうに思っているから、次の世代にも何かこの思いを託したいとか、教育って年を取ってくると、一番いいのは人を遺すということなので」
久保利「誰にもおもねらないでやれるんだからね。言いたいこと言っていいじゃないですかね」
濱田「そうですね」
久保利「みんな忖度ばっかりで」
濱田「参議院の中央公聴会で安保法制のときに私が蓮舫さんと丁々発止やったけど、あれも面白かったんだけど、原稿を作ってて、それを家に忘れてきちゃったんですよ」
久保利「ほぉ」
濱田「どういうこと話すってね」
久保利「ええ」
濱田「華子がね電話でね「持ってこようか」と言うから「いや、間に合わない」と。「項目だけ言え」と。項目を言わせて、ちょっとメモしてね。蓮舫さんとは前の日の夜事務所でちょっと打ち合わせはしてましたけどね」
濱田「結局あれはね結論としてはですね。原稿を他の公述人というのはほとんど」
久保利「読むんでしょう」
濱田「読むんですよ。日本の政治家も日本の社長もね。てめえの言葉で話せっていうわけだよね。たまたま私はね」
久保利「忘れたからよかった」
濱田「忘れたからよかったの。あれね、ほんとにスピーチの提要というか、非常にポイントだと思います。
だって「今は亡き内閣法制局」なんて言ったらね。元内閣法制局の長官が、喜んじゃってさ。後で来て「よくぞ言ってくださいました」って」
濱田「あれも思いつきですよね。「司法をなめたらいかんぜよ」とか、あんなのもね、原稿を読んでたら、あんなこと言えないよな(笑)」
久保利「(笑)だから、すごい濃密な詰めをして原稿にまでしたやつをいっぺん忘れて」
濱田「そうそうそう」
久保利「そっからその場で思いついた「Hear and Now」なんですよ」
濱田「蓮舫さんとは丁々発止でなんというか掛け合い漫才みたいな。YouTubeのコメントがね。非国民とは言ってないけどね、無国籍者、もう一つなんかあったな。そういうとんでもない奴だというコメントが二つありましたけど、そのほかは何もありませんでした。褒めてくれる人もいなかったけど」
久保利「無国籍者でいいじゃないですか。へんに日本、日本って、へんな国粋主義になるよりはようするに国籍を超えて」
濱田「そうそうそう」
久保利「正しいことなんだから」
濱田「天声人語でちょっと引用してくれたけどね」
久保利「いや、あれすごい流行り言葉になりましたよ」
濱田「え?」
久保利「今は亡きって」
濱田「ああ、そうですか。今は亡き、あれもとっさに出たんけど(笑)」
久保利「とっさに言ってやったーという感じ(笑)」
濱田「いや、ほんと。意識しないのに出ちゃうもんだから」
久保利「85歳までお元気でいらっしゃるのは、何か秘訣がありますか?何を食べていらっしゃいますか」
濱田「1月、華子がグループホームに入ってからは、その前からある程度はやってたんですけども、一人で料理するんです」
久保利「自炊?」
濱田「自炊というかね。料理って結構面白いんですよね。冷蔵庫にある残り、昔、魚菜学園というところの料理学校に華子に言われて通わされて」
久保利「通った」
濱田「いや、そこでベースを修行して」
久保利「田村魚菜の学校でしょう」
濱田「自由ケ丘の田村魚菜の、魚菜は死んじゃって息子が事務長なんかしてるけどね。レシピ通りにやるとできるんだけど、2人の時には半分にすればいいというものじゃないんですね。自分でやって結構面白い。今度の施設に入ったら、残念なことは」
久保利「キッチンがないんだ」
濱田「キッチンは小さいのはついてる。IHのついてる。まだやってないですけどね。基本的には全部出てくるわけですよ。今のところはいいんですけどね、料理が出来なくなるというのは一つ残念です」
濱田「いろいろ人のことを心配したりとか、わだかまったりとかそんな気遣いっていうのはなく、気ままにというか」
久保利「なるほど、生き方の問題ね」
濱田「生き方の問題じゃないかな」
久保利「食い物より」
濱田「食い物よりはね。だって、食い物は同じもの食ったって」
久保利「早死にする」
濱田「早死にする人とそうでない人と、それから美味しいか美味しくないかというのは、誰とどういうときに食うかによってえらい違うでしょう」
久保利「誰と食うかというのはね」
濱田「基本的には、誰と食うかだね。それで、独りで食うのはわびしいけどね。それでも自分で作って食べるっていうのもそれはそれなりにね」
久保利「なるほど、やっぱり自由人なんですね、先生は」
濱田「そうですかね」
久保利「自由に気ままにやってることが楽しくて力になって、外に対するいい影響も与えるし、自分に対するいい影響も引っ張ってくる」
濱田「そういうことですか」
濱田「知り合ってから何十年になるけど、話をね長時間やったのは初めて」
久保利「初めて」
濱田「楽しかった(笑)ありがとうございました」
久保利「ありがとうございます、ためになりました」
【濱田邦夫 PROFILE】
弁護士・元最高裁判所判事
1936年 生まれ
1960年 東京大学法学部卒業
1962年 弁護士登録
1966年 米国ハーバード大学ロー・スクール大学院修了
1975年 濱田松本法律事務所(現:森・濱田松本法律事務所)開設
1991~1992年 環太平洋法曹協会(IPBA)初代会長
2001~2006年 最高裁判所判事