ファンタジーショートストーリー”伝説の薬”
伝 説 の 薬
ハーピスとは、「彼方にある永遠の幸せ」という意味である。
昔、もっともっと星が近くに見えた頃、ハーピスと呼ばれる小さな村に、マリオという名の若者がいた。
ある日、重たい雲が村に流れ着いた。
雲は動かず、村を覆った。
太陽の光を遮り、そして細い雨を降らせた。
雨はひと月の間降り続け、村人たちの身体を蝕んだ。
雨が上がると村の一割の人々が亡くなった。
マリオには家族はなかったが、ひとりの恋人がいた。
マーレという名の美しい娘。
ハーピスに恐ろしい病気がはやって、次々と村人たちが亡くなってゆく。
残された村人たちは口々に、病気はデビーレ(悪魔)のせいだと言い、村はすすり泣きで満たされた。
ある者は食べることも忘れ祈り続け、またある者は死者の前で泣き続け、重たい空を見上げながら、さまよう老人。
彼はつぶやくように繰り返した。「リーフェの炎を絶やしたから、デビーレの呪いが舞い戻ったのだ…」と。
マリオは村の危機を救うため、たったひとりで、海を渡る決心をした。
村を救う手掛かりは、幼い頃長老に聞かされた伝説。
海を渡る…と、百日目の夕陽によって浮かび上がる島が見えるという。
そこには、かつてこの村を救ったリーフェという薬草があるという。
伝説の薬「リーフェ」
村を救えるかも知れない…。
マーレの両親の墓に花束を置き、マリオとマーレは砂浜に向かう。
伝説の薬「リーフェ」を手に入れるために、マリオはマーレに別れを告げる。
熱く短い接吻を交わすと、若者は小さな帆を上げた。
ゆっくりと、夜の静寂に、吸い込まれてゆくマリオの小舟。
いつまでも、いつまでも、星灯かりの下で、見送るマーレ。
振り返った若者は、娘の瞳に星明かりを見たような気がした。
波の音しか聞こえない。
小舟は海の、そして彼方に消えた。
幾日も、幾日も、荒れた海を渡った。
月日は流れ、マリオには疲労と空腹しかなかった。
小舟はまるで、木の葉のように、大海原をさまよう。
閉じかかった瞼の向こうに、九十九日目の夕焼けを見た時だった。
マリオは突然、天空からとても眩しい光に照らされた。
そこには、宙に浮いた美しい女の姿があった。
何かを語りかけてきそうな唇がわずかに開く。
包み込みそうな眼差しでマリオを見つめている。
「なぜ、ぼくを見つめているのだろう…手を、差し伸べる力さえ、ないのに…身体が少しずつ軽くなるようだ…」
マリオは立ち上がった。
空に向かって両手を差し伸べる。
「幸せの予感がする…」
女は、ゆっくりとマリオに向かって降りてくる。
眩しい光に包まれて、ふたりは抱き合った。
接吻。
と、突然、光もない、沈黙が襲った。
「きみはデビーレ?……」
やがて、雲の隙間から月の灯かりが少しずつ…。
小舟の上には目を閉じ、横たわったマリオの姿。
動かない…。
凪いだ海に波はない。
夜が明ける頃、小舟から一本の光の柱が天空に向かって立った。
光の柱に沿って、青白い光を放ったマリオの身体を抱きしめて、女は天へと昇って行く。
マリオは空から、恋人マーレと共に住んだ村ハーピスの、荒んだ姿を見た。
マーレだけが生き残っていた。
マリオへ手紙を書きながら、息絶えようとしている…。
「ぼくにはもう、生きた身体がない…」
マリオは女の腕を振り解き、地上のマーレの元へ飛び込んだ。
悲しそうな女の瞳から出た一筋の光が、マリオの身体に当たると、彼の身体は淡い炎に包まれた。
金色に輝く灰が、マーレの力尽きた身体に降り注ぐ…。
「穏やかな波の音が聞こえる。すべてを失ったのに、すこしずつ心が穏やかになってゆくのが分かる…
あんなに苦しかったのに、今は苦痛に感じない…不思議ね…マリオ、あなたを今、感じているの…」
マーレの穏やかな眼差し、海の彼方を見つめている。
溢れる涙…。
「この涙はどこへゆくのかしら…」
マリオを見送った同じ場所に、マーレは今も立っている…
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