鬱屈とした10代の自分とサテンドール、ナンシー・ウィルソンについての話
Nancy Wilsonが亡くなったことをLos Angeles Timesが速報で伝えた。81歳だった。彼女は自分のことをジャズシンガーという風にカテゴライズされるのを嫌って、自らをSong Stylistと称していたんだって。スタンダートからポップスまで。Nat King ColeやPeggy Leeを慕って、遂にはキャピトルレコードとサインした彼女も、結局その枠組みからはみ出せずに苦労していたのかもしれない。それでも自分にとっては、彼女はジャズへの入り口だったんだ。
“I just never considered myself a jazz singer. I do not do runs and—you know. I take a lyric and make it mine. I consider myself an interpreter of the lyric.”
小学校を卒業して、私はすぐに渡米した。もっとも、それは自分の意思とは無関係に、父の仕事の都合による引っ越しでしかないわけだけれども。はじめは英語もろくに話せないし、友だちも全くいない。そして私は、多少の恨めしい気持ちも抱きながら、ニキビと戦う普通の10代と同じように、不安と反発が混じり合う鬱屈とした気持ちを晴らすべく、新しい音楽を求めていたんだった。
とは言え、自由に使えるお金なんてなかったし、小遣いをもらったところで、シアトルの郊外に住む私は、レコード屋があるベルビュースクエアに行くにも、わざわざ親にお願いしてクルマを出してもらわなければならなかった。だから私にとっての新しい音楽との出会いは、もっぱらFMラジオとMTV、そして父が持っているCDくらいだったんだ。
父は学生時代、どういうわけかカントリーミュージックのバンドを組んでいて、読売ホールかどこかでライブをやったこともあったらしい。本人から聞いた話ではなく、葬式で初めて聞いたような話だけれども。ただ、それだからか、父が持っているCDと言えば、Hank Wiliamsなどカントリーミュージック関連が多く、それ以外にあるものと言えばクラシックかジャズくらい。普通の中学生の音楽の趣味から考えると、なかなか聴いてみようと思うようなライブラリーではなかった。
それでも私は、MTVでPeter Gabrielの”Steam”のミュージックビデオを見たり、FMラジオでNirvanaの”Smells Like Teen Spirit”やArrested Developmentの”Tennessee”を聞きながら、とにかく新しい音楽を求めて父が持っているCDを手に取ってみたんだった。
そして持て余した時間を使って、繰り返し聴いた。それが、1982年にニューヨークで録音されたNancy Wilson With The Great Jazz Trioの「What's New」というアルバム。その響きがもはや懐かしいが、東芝EMIから出ていた国内盤CDだった。1曲目に収録されている”Satin Doll”の出だしのピアノ、そしてあの声色とあのアレンジ。あまりに素敵だったので、初めて耳にした時から、1曲目のそればかり聴いていた。
Nancy Wilsonは、実は”Satin Doll“を違うアレンジでも歌っている。スタンダードだから色んなバージョンがあっても不思議ではないんだけれど。しかしながら、父が持っていたこのアルバムに収録されている”Satin Doll”は、どういうわけかSpotifyで配信されていない。だから、わざわざCDで聞くしかないのだった。
“I don’t put labels on it, I just sing.”
久しぶりに聞いてみよう。サマーセットの丘から見たダウンタウンのシアトル。今となっては、このアルバムも父の形見、そして10代の、あの鬱屈した気持ちを、今また晴らそう。
140文字の文章ばかり書いていると長い文章を書くのが実に億劫で、どうもまとめる力が衰えてきた気がしてなりません。日々のことはTwitterの方に書いてますので、よろしければ→@hideaki