英花伝書ー植物と人間の文化ー#2
目が見えぬ霧立ち込める森の闇 ひとり寂しくかなたさまよふ 西川英行
この短歌は、自分の心の状態を森の風景に託し、心象として森を歌ったものです。
このように私の作品は心象を植物に託して表現することが多いです。
そうして描くことに意味はあるのか?芸術とは何か?と問うていくことに芸術家としての存在意義を見出しています。
現在、私は、芸術とは自己慰安である(自分を慰めること)という吉本隆明さんの言葉に同意しています。この言葉は素人から偉大な芸術家まで含めて言えることです。
与謝野晶子の短歌集『みだれ髪』の中で好きな歌に
野茨をりて髪にもかざし手にもとり永き日野辺に君まちわびぬ 与謝野晶子
恋の歌といえば与謝野晶子が好きです。情熱的で、一途です。
与謝野晶子はミュシャが好きで、晶子の故郷の大阪堺市にはミュシャ美術館があります。晶子も植物が好きだったのでしょう数多くの植物を読んだ短歌があります。
与謝野鉄幹が主宰し、晶子の投稿した文芸誌「明星」の表紙もミュシャ風のまねたアールヌーボー(新芸術)調の作品が表紙を飾っていました。与謝野晶子といえば
柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君
この歌は有名で私も大好きです。私のことを言っているみたいで共感します。
植物とは関係ないですが、晶子の人柄が表れている作品です。
花は生物学的には植物の生殖器官です。日本の古典文学、和歌においては花は桜を意味しています。それ以前には梅が代表的な花でした。
花を代表する季節は春ですが、最近、春が消えかかっています。
儚いという花の命は、美しい女性を象徴し、紫式部の「源氏物語」の美意識である、もののあわれという観念と結びついています。仏教的な無常感です。
本居宣長が江戸期に源氏物語を研究して、もののあわれを見出したそうですが、
それは日本の代表的な美意識とするのは趣味の問題ですので、日本には侘び、寂などの美意識が古くからあるので、どれもいいとは思うのですが。
美的基準、美意識は常に文化的なものによって規定されている。
ヨーロッパの美意識は贅沢な豪華な装飾が好きですが、日本的な美意識は、合理的と言っていいほど " 間 ” の空間の余白を重んじます。
これは禅仏教が作り出した美意識です。
テオドール・アドルノの著作に美のイデオロギーという作品がありますが、この題からわかるように、イデオロギーを帯びたものが美意識です。
美意識と言うドグマです。美は経済と結びついたもので、美しいものほどお金がかかります。胡蝶蘭は、商店を出す時の贈り物の代表ですが1万円以上はします。
美しいものには価値がある。そう文化的に私たちは刷り込まされてきました。
しかし、お金持ちには美は生み出せないのです。
理由はわかりませんが、経済的貧困が極まっている時に、人間は最大の美を生み出します。
皆さん。絶望しても、貧困状態であっても希望を持ってください。美は貧困状態で形成されるものです。それは人格的なものでもあるし、神からの贈り物かもしれません。
今日はこの辺で書き終わります。