フィジカルとバーチャルの境界って何だろう?と思いながら、それを探してみた。
夏の暑さが若干和らいできて熱帯夜さえ涼しく感じる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。このクソ暑い中に汗だくになってもカメラを持ってブラブラしていますが、特に痩せることもなくただただ焦げが濃くなっています。
あったはずのオリンピックはどこかへ行ってしまい、古き”良き”時代を懐古するものと、古き”悪しき”時代を懐古するものが罵り合っていて、そんな古き時代を巡って罵り合う今日を作ってきてくれた先人達を敬意を持って竪穴式住居に追いやりたくて仕方ありません。
もはや何が事実で何が妄想で、何が何なのかわからない世間なのですが、一方で何が事実で何が妄想で、そういったことを区別をすることが可能なのかどうかを考えたときに、ある人はそれを事実だと言うし、ある人はそれを単なる陰謀だと言うでしょう。テレビやネットで流れている映像は事実かもしれないし、成功に作られたフェイクかもしれないし、現実に起きているかもしれないし、映画の中の世界かもしれない。
肩書きは超絶立派な誰か知らないおっさんが書いたとされる文章と、隣に住んでる冴えないおっさんの言うことはどちらがどうなのか。世界中の人間が違う!と言う事実と、世界中の人間がそうだ!と言うフェイクと、どうしたら区別ができるのか。自分の目で見えているものは本物か、はたまた、蜃気楼的なものか、脳が作り出したものか、自分の耳で聞こえているものは本当に音がしているのか、幻聴なのか。神様仏様はいるのか、いないのか。
さて数百年前の人々は、お殿様を見てどうしてお殿様だと認識できたのだろう?ましては、天皇はもっと認識できないのではないかと思うのだが、そもそもそういう人が本当にいるのかということ自体も確認する術も無いはずだと思うのだが。とすると、そういうものだ!ということしか、事実だと認識するための方法はないのか?という気もするが、それを前提とすると、テレビに出てるキレイなお天気お姉さんはバーチャルな存在だし、画面の中から出てきてくれない俺の嫁はフィジカルな存在になるのだろう。
写真に撮られたのはフェイクだし、CGで表されたのは事実でもあるとすれば、まぁ自己と他社の間で認識が同じになるはずもないなぁ、というところでとりあえずは一段落した。