MRのカルテ (No.12)
医療ライターの三浦秀一郎です。MRのいいお話を連載します。お読み頂ければ、光栄です。(尚、本文はフィクションであり、実在のいかなる団体・個人等ともいっさい関係ありません)
〇 優れもの事典のお話 (カルテNo.12)
「Mさん、そんな事典はいらんよ!経費が勿体ないよ―」
と営業推進部長のYさんは、頭ごなしに拒絶の反応を示した。するとその言葉は、軽い金属バットに変身し、M副部長の側頭部を「ゴーン……」と殴打していた。目の前が真っ暗になった。
それは、あまりの想定外の残酷な返答であった。M副部長は、めったにお目にかかれないこのユニークで有用なビジネス事典を、各部署で有効活用して貰いたいという戦略を考えていたからだ。たった数冊の購入で現場にも貴重な情報提供が出来ることは絶対に間違いない。
その事典とは『医薬品企業法務研究会(医法研)』が発行した「リーガルマインド別冊第26号」で『医薬品企業ビジネス事典―Q&A―』であった。前回、発行してから約10年の月日が流れている。出来れば、改訂版を発刊してほしいと皆が願っていたときである。
編集に当たった研究会メンバーに話を聞くと艱難辛苦の末、旧版から約十年の歳月を経て、漸く世に出た貴重な事典ということである。事典を一言で表現するならば『無比の手作りビジネス事典』と言っていい。全会員が各テーマを分担して、一年余りかけて執筆したということである。
医法研は、1981年に、医薬関連産業に従事する数名の仲間たちが、手弁当で法務問題を幅広く研究したいという想いからスタートしている。平成26年年5月現在、会員会社は約90社に上り、登録会員は10ある部会の何れかに席を置き、日夜研究活動を行うこととなっている。また、この常設研究部会とは別に、毎年、時節に即した特別研究部会を組織し、ホットな情報提供を行いながらも、業界の難問に取組んでいるということである。
機関紙には『リーガルマインド』という定期刊行物があり、各企業の法務関係者の鋭い切り口で編集された論説文などが掲載されている。
そんな流れの中にあって、『医薬品企業ビジネス事典―Q&A―(ビジネス事典)』は、医薬品企業の日常業務に必ずや役立つと思われる様々の制度や概念、多くの情報が取上げられ、Q&Aの形にして利用しやすいように工夫してある事典となっている。
各項目は122のQ&Aで構成されている。
1医薬品産業について
2医療制度について
3薬事法について(旧法)
4医薬品の研究開発・治験について
5医薬品の安全対策について
6医薬品と知的財産権
7医薬品と公正取引について
旧版は「医薬品マーケティング事典」という名称であったが、今回の事典はマーケティングに限らず、医薬品企業のあらゆる分野に亘ることから、その名称も「医薬品企業ビジネス事典」と改めたものである。
事典の中に『医療用医薬品の流通に関するコンプライアンス(Q93~Q96)』の記載がある。自社の喫緊の課題はこのコンプライアンスであった。M副部長には一つの戦略があった。自社の法務部も参加していて「医法研」が発行したこの有用な事典を、何とかYさんに理解させようという密かな計画があったのである。
「まあ、いいか……」と一度はあきらめ、時の流れに期待をすることにした。
自社の取引代理店の数はおよそ100社である。上位20社にその売り上げは集中傾向にある。基本取引契約の締結状態はというと、10社にも満たない。代理店の管理が非常にずさんな状況にあるのだ。今まで、企業としてのリスクマネージメントはいったい何をしていたのだろうか。
この対策として推進の中心にいる営業推進部長のYさんに何かしらの信号を送りたいのである。しかし、結果は一撃で撃沈されてしまった。
暫くして、大事件が起こった。隣の事業部で、代理店倒産の煽りで三千万の未収金が発生したのだ。基本取引契約の締結はなかったという。緊急の部長会が召集され、社長が湯気を上げて激怒したというのだ。当然のことながら各事業部における代理店の与信管理の報告がなされた。10%にも満たない締結率は、重要視されることとなったのである。
早速、「基本取引契約書」の締結推進が決定され、事業部内では営業推進部長がその任にあたることとなった。当然の流れである。
事典には、医薬品企業と卸のモデル契約書が掲載されており、現状の基本取引契約書の問題点も浮き彫りにされている。ちょうど事業部の各ポジションの教科書としてはグッド・タイミングで有用な資料となるはずである。
諺に「虚心坦懐」というのがある。あの時、営業推進部長のYさんが「虚心坦懐に人の話を聞いていたら……」部長会で責められる圧力はかなり軽減していたはずである。
(追記 : 「医薬品企業ビジネス事典」は優れものである。あれからまた十年の歳月が過ぎようとしている。ぜひ改訂版に期待したいものである。)