MRのいいお話

MRのカルテ (No.11)

医療ライターの三浦秀一郎です。MRのいいお話を連載します。お読み頂ければ、光栄です。(尚、本文はフィクションであり、実在のいかなる団体・個人等ともいっさい関係ありません)


〇 六本木で謎の死 (カルテNo.11)

「君たちは素晴らしいパワーを持っている。今年度は、そのパワーをフルに発揮してもらいたい。成功したらインセンティブをいっぱいあげよう。君たちの、ベストの活躍に期待する―」

 同時通訳で、社長の一攫千金を唆すような訓示が伝えられた。ここは外資系医薬品メーカー、B事業部の今年度最初のリージョナルセールスマネージヤー会議(全国販売会議)が開催されている本社会議室である。

 会議には、全国のエリア販売部長と本社関係のマネージャークラスが出席している。皆が、前年度計画は達成しなかったものの、ニッチな領域での激戦を勝ち抜いたという満足感に満ち溢れていて、終始和やかなムードであった。

 会議の冒頭、新社長の熱い方針演説が予定をオーバーしながら、一時間近くになった。それもその筈で、社長就任後、まだ一ヶ月しか経っていないのである。前任の日本人社長に代わって、元R事業部長であった彼が、新社長に就任したのは新年の一月であった。本社役員からの昇格の為、社内事情については精通している。

 新社長は、国籍が北米で、日本に住居を移してから五年になる。妻子と同居していて、大柄、筋肉質の白人である。その彼が、アクセルをぐっと踏み込んで、エンジン全開の方針演説となれば、皆は一歩も二歩も下がって、一字一句も疎かにする訳にはいかない。

 前社長の退任後、社長不在の期間が四ヶ月ほど続いた。その間、彼に新社長就任要請が米国本社からたびたびあったというのだ。彼は要請に対して酷く悩んだらしい。事情はいくつか噂話として流れた。

 新社長の訓示の中に、莫大なインセンティブ企画が盛り込まれていた。通常はあり得ないリージョナルセールスマネージヤーへも担当者と同時に支払おうという企画である。過去のインセンティブ企画では全くなかった内容であり、それだけにマネージャー達は、奮い立った。

 しかし……、その事件は、突如として起こったのだ。『平成○○年四月、男性、外資系医薬品メーカー、日本法人社長が、店で寝ている間に死亡。血中からヘロインなど検出……』と全国紙が報じた。

 別の記事には、『○○日朝、六本木の中国エステ店で、北米人の男性会社役員が死亡。体内からヘロイン成分が検出された―』とある。

 警視庁は都内各署に照会して、六本木周辺で三月から四月にかけて、日本人を含む十人前後が、薬物中毒でこん睡などに陥ったことを把握していた。そして、それらは六本木周辺での密売が関係しているのではないかと捜査を開始していたのだ。また、ヘロインとコカインの二種類の薬物が見つかったことから、薬物密売組織が、ヘロインと他の薬物を混ぜた致死量の高い混合薬物の密売を始めた疑いもあるとみて、密売ルートの全容解明を極秘裏に動いていたのである。

 事件の起こった当日、本社は何もなかったかのように静まり返っていた。慌てたのは、社長秘書を含めた役員連中である。昼になっても社長が出社して来ないのだ。当日、出張予定とはなっていたが、直接向かったという連絡は入っていない。

 これは、何か事故か事件に遭遇したのではいかという結論となった。そうこうしている間に、警察では身元が判明し、緊急の連絡が本社に届いた。残念ながらすでに死亡している事も伝えられた。

 本社と家族は慌てふためいた。特に奥さんは理性を失い、ただただ泣き崩れて、遺体に会いたくないというのだ。

 あの元気な新社長が、まるで神隠しにあったようにこの世から姿を消すとは信じられない出来事である。本社の関係者は皆、断腸の思いであった。翌日、社長の訃報は全社員に伝えられた。しかし、その原因については明言されず、遺体は出来る限り早急に本国に帰り、密葬にしたい旨のアナウスが流れた。

 マスコミは、社長の死亡状況をある程度正確に報道したが、不思議なことに社名は一切、出てこなかった。明らかに何らかの力が働いていることは窺える。

 通常、社長死去の場合は社葬を行なうことが慣習である。今回その案内はない。事情が事情なだけに、本社は社葬を行うことを断念したのだ。しかし、この方針に営業部門が困り果てた。得意先への説明と案内が必要になってくる。代理店との関係もある。

 結局「不慮の事故で死亡」という表現になった。また、詳細は不明とした。企業の代表権の移行は、手続き上、日数を要する。更に、契約書関係、会社案内等全ての記載は、変更することになる。費用は莫大なものとなる。

 B事業部のリージョナルセールスマネージヤー達には、一つの心配事があった。あの会議で約束された高額なインセンティブ企画はいったいどうなるのだろうか。暫くして、事業部長から通達が発信された。

「社長からの特別企画のインセンティブは、キャンセルとなりました……」

 というのだ。続けて、その理由は特別費用が発生したからというのだ。マネージャー達は、机上の空論となった特別インセンティブ企画を恨めしく思った。

 高額な特別企画を一人で企画し、売上なしですべてのインセンティブを持ち去った経営者がそこにいた。