MRのカルテ (No.5-Ⅰ)
医療ライターの三浦秀一郎です。MRのいいお話を連載します。お読み頂ければ、光栄です。(尚、本文はフィクションであり、実在のいかなる団体・個人等ともいっさい関係ありません)
〇 ドクターのひそひそ話 (カルテNo.5-Ⅰ)
医局を定期訪問していると、信頼のおけるMRには、ドクターが、ぽろりと本音を漏らしたり、ドキッとする怖い話を教えたりする。それを幾つか紹介しよう。
①田舎のおばあちゃん
A県立総合病院、消化器内科医局での話である。
「明日、胃の検査をするから、今日の遅い時間と明日の朝は『ごはん』を食べないでくださいね。おばあちゃん、分かった。『ごはん』を食べちゃだめだよ。でないと検査ができないからね-」
外来のナースが、高齢のおばあちゃんに、甲高い声できつく念を押した。すると、「分かっただよ。あんまり年寄り扱いするもんでねー『ごはん』を食べてこなければいいんだべさ……」
と言って帰っていったそうである。翌日、内視鏡の検査が始まった。担当は消化器内科の若手ドクターである。先生の前で、例の外来ナースがおばあちゃんに確認をした。
「おばあちゃん、検査に入るけど今朝は『ごはん』を食べてこないよね―」
と尋ねると、そのおばあちゃんは、「あったりめーだ。言われた通り『ごはん』は一口も食べてこねーだ。でも、あんまり腹が空いてたから『パン』を食ってきただよ……」
外来がパニック状態になった。しかし、大声を出して笑う訳にもいかず、若手ドクターはすぐにトイレに駆け込んだそうである。
②手術部位を間違えた整形外科医
「先生、いいんだよ先生を信頼しているから手術は早めにお願いしますよ―」
と言ったのは、全身麻酔から醒めた、大腿骨頸部外側骨折の患者、Aさんである。私がこの話を聞いたのは、十数年前であった。忘れていたのだが、先日ふと新聞記事を見て、似たような話もあるもんだなと思い出したのである。
記事には、群馬県のある整形外科病院で起こった「ひざ左右間違え内視鏡、半月板手術」とあった。左ひざの半月板の手術の際、間違えて右ひざに内視鏡を挿入する医療ミスというのだ。
なぜ、このようなアクシデントが起きるのだろうか。不思議である。話を戻すと、そのAさんの二度目の手術は早急に行われたそうである。そして回復も順調で、早期離床の治療がすすめられたそうである。
我々MRからみた、整形外科とは、専門領域に分かれていて、人の体の中の骨をいじくる大工のイメージが強い。実際、手術場では、ノミとトンカチ、それにドリルがよく使われている。また、専門領域とは、大雑把に分類すると、脊椎、ヒップ、膝、手、足、スポーツ、腫瘍等である。
Aさんの手術は若手のドクターが行った。彼は、十分に経験を積んだヒップ(股関節)の優秀な専門医である。そしてなぜ、そのようなアクシデントが起こったのかを私に教えてくれたのである。場所は、大衆酒場のカウンターであった。
それは、チェックのあまさと、思い込みが原因であったというのだ。幸いにもAさんは、大腿骨頸部外側骨折であった。もしも、内側骨折であれば骨壊死となっていたというのである。
その後、先生は、度々そのアクシデントの夢をみるようになった。そして夜中、魘されるようになったという。今まで、そのことを誰にも話したことはない。今日、初めて漏らしたというのである。Aさんは、その先生に次の言葉を残して退院していった。
「先生よ、右と左の足を間違えて手術しちゃいけねーよ。俺は医療過誤だといって先生を訴えたりしねーよ。先生の人生勉強には必要だったんだよな。そう思ってくれればいいや。ただし、もうこんな間違いは二度としちゃいけねーよ。先生よ、もっと立派な整形外科医になってくれよ。期待してっからよ-」
騒音の大衆酒場のカウンターに、涙のひとしずくが落ちた。それを見て、私も目頭が熱くなった。