MRのカルテ (No.4)
医療ライターの三浦秀一郎です。MRのいいお話を連載します。お読み頂ければ、光栄です。(尚、本文はフィクションであり、実在のいかなる団体・個人等ともいっさい関係ありません)
〇 猟銃を六丁持つ外科医 (カルテNo.4)
「HIDEちゃん、日曜日、鴨撃ちに行くよ。付き合ってよ……」
と某循環器腫瘍センターの外科部長から狩猟の誘いがあった。なかなか経験の出来ない世界への誘いである。 「はい、分かりました。朝何時頃、お伺いすれば宜しいですか―」 「五時頃、家に来てくれないか」
これで鴨撃ちの同行が成立したのである。三回目の狩猟であった。
この外科部長との出会いは、もちろん担当病院となってからのことであるが、より親しい間柄となったのは、テニス同好会の発足がきっかけである。
外科部長は、学生時代から硬式テニスの選手であり、病院に赴任してからも定期的にテニスをする仲間をさがしていた。ちょうどその話を聞きつけ、テニスの経験があったことから、出入りのMRに声をかける役割をかってでたのである。それが外科部長と急接近する機会となったのだ。
暫くして、外科部長は、医療と全くかけ離れた趣味を暴露した。そして「エアライフルだったら、すぐできるよ―」と言った。
彼は、なんと、猟銃を六丁持つ外科医だったのだ。こんなドクターは、いままで聞いたこともないし、お目にかかったこともない。ただただ「へえー…」と、驚くばかりであった。そして、その後、MR人生初めての狩猟を体験することになったのである。
狩猟といっても、どんな所でも出来るわけではない。狩猟期間と鳥獣の種類、エリアが決まっている。また、そのエリアによって細かい規制が設けられている。私が同行したエリアは、猟期が十一月から、翌年一月末までで、県の西側を南から北に流れる一級河川であった。その流れの緩やかな本流を、獲物を求めて、ガソリンエンジンの煙を吐きながらボートで遡上するのである。
酷寒の真っ只中、息を殺し、静かに獲物に近づく。指先はかじかんで、もう感触はない。白い息がまっすぐ、ゆっくりと漂ってゆく。二人は神秘の世界に入っていった。
すると突然、河原のシダレヤナギの根元から、二羽のマガモが飛び立った。たぶんつがいであろう。それに向けて、飛んでゆく方向を予測しながら、二発連続で「ドーン、ドーン」と体を揺らすような爆音が発せられた。一羽が気を失って川の水面に落下した。私はグリップを少し手前に握りなおし、エンジンの出力を上げた。マガモは静かに水面をこっちに向かって流れてくる。
外科部長はそのマガモをすくい上げ、右手で高々と勝利宣言をした。その彼の笑顔は、いままで医局で見せたことのない、猟師の笑顔であった。
その日の収穫は、三羽である。外科部長は同行のご褒美に一羽を差し出した。よく肥えたメスのマガモであった。マガモの肉は、鳥肉の中でも脂がのっていて、最も美味とされる。
我が家は今夜、私がつくる鴨鍋である。しかし、ほんの少し、心の中には罪悪感があった。一緒に飛び立ったあの綺麗なオスは、いまどこにいるのだろうか。
その日の夕方、少し日が落ちてから、マガモの調理に取り掛かった。
私は、父が養鶏場を経営していた頃、鶏のさばき方をよくそばで眺めていた。逆さにして脱血し、きれいに毛をむしり取って包丁を入れる。その手つきは素晴らしいものがあった。その記憶があって、手順は完全に身に付けていた。ただし、夜、暗い河原で鴨をさばいている様は、通行人が見れば警察に通報されそうな気もする。焦る気持ちと、暗さのために、包丁が上手く入っていかない。
漸くさばいて我が家に帰り、ネギをふんだんに入れた鍋の中で、鴨肉を泳がせた。鍋の表面に油が浮いている。子供たちは「こんな美味しい鍋は食べたことがない……」と絶賛してくれた。しかし、私はあのオスのマガモが少し気にになった。
その後、私は外科部長から勧められるままに「猟銃等講習会」を受講した。空気銃(エアライフル)を手にする目的からである。
「猟銃又は空気銃の所持許可を受けようとする者は、住所地を管轄する警察署の生活安全課が主催する『猟銃等講習会』を受け、講習終了証明書を入手すること」となっている。これが全ての始まりである。
空気銃は、猟銃と違って、射撃教習または技能検定を受けずに許可申請ができる。銃の所持としては、一番の近道である。しかし、ここで考えなければならないのが、銃の所持によるその目的である。
私にはその目的がなかった。銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)では、猟銃・空気銃の所持許可の申請ができる者の項目に「狩猟、有害鳥獣駆除、標的射撃、試験研究等法令に定める所持目的がある者でなければならない」とある。また「鑑賞とか、コレクションとか、遺品だからといった理由では所持許可の申請は認められない」ことになっている。つまりどういう事かというと、所持許可を得た者は、その目的の為、必ず銃を発射し、使用実績報告書の準備を必要とするのである。
これには困った。また「1銃1許可制」というのがある。2丁同時に所持する場合は、二つの許可証が必要となる。ということは、あの外科部長は六つの所持許可証をもっていることになる。実はこれが大変なことで、その事を講習で知ったのであった。
銃刀法には「検査を受ける義務」が記載されている。いわゆる「銃検」である。「銃検」とは、年一回銃と許可証を持参して検査を受けることである。その際、許可証の書替え、再交付、返納義務等を怠っていないかチェックされる。
さらに公安委員会は、警察職員と連絡をとって、保管の状況を調査することがある。外科部長が言うには「もう、慣れちゃったよ。近所にも知られているし、おかげで息子が学校で苛められなくなった―」というのだ。私は、この発言には驚いた。
外科部長の6丁の猟銃の保管状況の確認に毎年、定期的に警察官が自宅訪問してくるのである。周囲の人々はいったい何事かと思うにちがいない。さらに私は、あの外科部長がただ者ではないことが分かった。
銃刀法には、猟銃・空気銃の所持が許可されない場合の「絶対的欠格事項」と「相対的欠格事項」というのがある。「絶対的欠格事項」とは、人的欠格事項のことで、所持許可を持たせてはいけない、人的項目である。勿論、年齢制限も定められている。その具体的内容とは「銃砲刀剣類又は刃体の長さが6㎝を超える刃物を用いて、殺人、強盗、強姦、誘拐、傷害、恐喝など凶悪な罪を犯した者」また「集団的に、常習的に暴力的不法行為を行う恐れのある者」等と記載されている。
一方「相対的欠格事項」には「同居の親族に『絶対的欠格事項』に該当する者がいるときは、許可されない場合がある」と記載されている。
民法上の「親族」とは、六親等内の血族、配偶者および三親等内の姻族をいう。これらのことを纏めると、同居とあるので何ともいえないが、銃の所持許可を受けている者は、これらの条件をクリアしているということになる。
私は、外科部長に対する考え方を変えた。外科部長の人間性という素晴らしさを改めて認識したのである。それ以来、テニス同好会の事務局を担当させてもらい、外科部長とのお付合いは長く続いている。
諺に「鴨が葱を背負って来る……」というのがある。私は、鴨に誘われた「葱」だったのではないだろうか……。