MRのカルテ (No.8)
医療ライターの三浦秀一郎です。MRのいいお話を連載します。お読み頂ければ、光栄です。(尚、本文はフィクションであり、実在のいかなる団体・個人等ともいっさい関係ありません)
〇 暴力団と密約を交わしたS病院 (カルテNo.8)
医療法人の病院を経営する理事長にとって、頭の痛いことが一つある。それは、暴力団との上手な関係の構築である。
千葉県にあるS病院を紹介しよう。
その前に「暴力団」をキーワードとして、ヤフーで検索すると、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』というサイトが現れる。書込みスタイルの百科事典のようだ。内容を眺めると、なかなか優れもののようで、そこには次のような記載がある。
暴力団は、組織された暴力を背景に金品の利益などの私的な目的を達成しようと、日本を中心に活動する、反社会的な集団である。暴力団自身は任侠団体などと自称している。生き残りのため、系列に思想団体や合法的に見せかけた会社を持つことが少なくない。「暴力団」という呼称は、警察やマスコミが戦後に命名したものであるが、現在では法的に正式なものとなっている。創設者の姓名や拠点とする地名などに「組」「会」「一家」「連合」「興業」「総業」「商事」などを添えた団体名を名乗る場合が多い。社会に対しては企業や右翼団体、また近年ではNPO法人を装うこともある。
「シノギ(凌ぎ)」と呼ばれる資金獲得行為には、いわゆる「みかじめ料」「用心棒料」の徴収などの恐喝行為、売春の斡旋、覚醒剤や麻薬などの薬物取引、賭博開帳、闇金融などの非合法な経済活動を行っていることが多い。そして組織は、代表者である組長と組員で構成されており「盃事」の儀式で強い絆で結ばれている。これが一次団体で、さらにこの組員は、自らを組長とする二次団体を組織する。これを繰り返すことによってピラミッド型の階層構造を形成する。日本最大の指定暴力団である山口組は、五次団体まで確認されているという。
平成四年三月、暴力団に対する法規制として「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律(通称、暴対法)」が施行された。この暴対法を基に、各都道府県公安委員会は、一定の要件を備えた反社会性の強い暴力団を対象団体と指定し、必要な規制取締りを加えていく事とした。これが「指定暴力団」である。
千葉県の『千葉県暴力団追放県民会議』のサイトを覗くと、県内の勢力図が載っている。千葉県は、住吉会、稲川会、双愛会をはじめ、山口組、極東会、松葉会があり、最大勢力は住吉会(全体の約40%)である。
千葉県のS病院は、歓楽街の裏手に開院している、ベッド数約二五〇床の中規模病院であるが、救急指定病院である。交通事故はもちろんの事、歓楽街でのけが人までもが飛び込んでくる、まさに「救命」的な存在となっている。
しかし、この病院の位置は、ちょうど住吉会と稲川会が「縄張り」を主張する活動区域の境目にあることで両者との関係はより複雑なものとなっていた。
そこでS病院の理事長は、事務局長にあるミッションを託した。実はこの事務局長は、只者ではなかったのだ。本人は「私の『履歴書』は奇麗なものだよ」と言っているが、一時期、裏の世界では大分、幅を利かせていた事を理事長は知っていた。また、医療事故の示談には相当な辣腕をふるっていた事も押さえていた。そういう情報を知っていたがゆえに、理事長は事務局長に病院の将来を懸けたのである。
事務局長も、いつか二つの組と真っ向から勝負しなければならない時期が来るだろうとは予想していた。早速、事務局長は交渉に入った。
暫くして、暴力団社会の独特の儀式である「手打ち」が行われることになった。暴力団は、その縄張り争いで、いったん対立抗争が始まると、お互いに人的損害が大きくなり、場合によっては共倒れのリスクもある事を十分に認識している。この事もあり、対立抗争を水に流すため「手打ち盃」をして、共存共栄を図るような気運もあるのだ。
事務局長の動きは、時期的にもちょうどよいタイミングであった。その頃、病院近くの繁華街では、両者の小競り合いが、たびたび続いていたからである。「手打ち」の儀式は順調に進められた。そして、両者に事務局長からお願い事として、次の項目が伝えられた。
1 患者さんはいつでも来院してください。丁寧に診察をさせて頂きます。しかし普通の服装でご来院願います。
2 大人数で押し掛けないでもらいたい。
3 病院の周りでは、商売をしないでほしい。
4 浮浪者を一人でも、病院の周りをうろつかせないでほしい。
一連の流れとその結論は、理事長に報告された。それを聞いた理事長は「うっー」と唸り声を上げた。
「事務局長、よくやってくれた。ありがとう―。君がいなかったらこの病院は、どうなっていたかわからないよ……」
と、満面の笑みを浮かべて、ごつごつとした硬い両手で握手を求めるのであった。こうしてS病院は二つの組の仲裁人の立場となり、現在に至っている。
ある時、偶然にも二つの組の組長が同じ頃、体調不良でS病院に入院をすることになった。院長を含めた病院関係者は、慌てふためいて、その対応に大童となった。県内の広域暴力団の組長が同時に入院して来るのである。
院長は、理事長と同じ医局出身の後輩で、俗に言う「雇われ院長」であった。どういう事情かは分からないが、今回の「手打ち」の件は、院長には伝えられていない。あくまでも理事長と事務局長の腹の中だけにとどめておく、トップ・シークレットの事項となっていた。
理事長と事務局長はのほほんと遠くから眺めていた。二人の組長の一方は、胃ガンの手術となり、他方は、骨粗しょう症が進み、大腿骨頸部骨折で緊急手術となった。
考えてみると奇妙なめぐり合わせである。それこそ神の悪戯と思える。
暫くして、事務局長は病棟に入り込み、二人の組長と短い面談を行った。担当医師とナースたちは、その光景を怪訝そうに遠くから眺めていた。事務局長は二人に対して、柔らかな口調で見舞いの言葉を贈った。
「これからも、どこか悪いところがあったら、遠慮なく仰ってください。いつでもメスを入れさせて頂きます。ですから、この病院と長いお付合いをお願いしますよ。どうか、くれぐれも宜しく……」
この言葉は、二人の組長には堪えたそうである。そこにはあの「手打ち盃」で見せた凄みのある組長の姿はなかった。
これでこのS病院の立場は、益々両者を隔てる頑丈な厚い「壁」となったそうである。