大人が「もう一人でも出来るよね」と言われる時
地元のヨガ教室に2年程通った。
先生は俺よりもずっと年長だったが
髪は黒々としていて、言葉も動きもテキパキしていて、若々しい。
難しい事や答えの無い問を、無限ループで繰り返していたのを見透かされたのか、「今、この瞬間に集中して!」と気合を入れられる。
お気に入りのアロマを選び、一連のルーティンを繰り返すのだが、其々様々な悩みを抱えている生徒も、回を重ねるように言葉も動きも見違えるように良くなっていく様子が感じられる。
若い人は、覚えも早く上達が速いので、音楽療法の先生も負けじとより動きをハードにしていき、ついてこれなくしたりもされる。
現代人は日常生活のやるべき事に頭が奪われ、一つ一つの動作を雑にしてしまいがちだ。
都会ではスマホを見ながらバスに乗り、地下鉄に乗り込む。前からくる人に気づくのが遅れてぶつかりそうになる光景も珍しくない。
車内でも、それぞれのご機嫌を取る画面に夢中になり、他者への関心など微塵も感じられない。
スマホが無い時代は、新聞を広げて迷惑がられる会社員とか、ウオークマンの大音量で睨まれる若者なんかもいた。
この二十年位の間にガラケーはスマホへ置き換わり、デジカメやボイスレコーダーが消えたりもした。
多機能、大量の情報に時間が埋められ、自分で考える時間が少なくなってきた。
考えなくても検索すれば、一般的な情報は得られるようになって、様々な仕事が奪われるようになっている。
そんな時代だからこそ、原点回帰でアナログでシングルタスクな習い事に惹きつけられる。
ヨガは脳を酷使しすぎている現代人にはぴったりの学びだ。
関節の可動域とか、姿勢の悪さだとか、続けているうちに自らの身体の事を少しずつ知るようになっていく。
瞑想をした後は、頭が、スッキリ体も動かしやすくなる。
先生にまた会いたいけど
敢えて「会わずに愛して」をサブスクリプションに入れて眺めていた。
そして様々な動物の動きを真似てみた。
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