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読書レビュー;「物語の役割」小川洋子⭐︎自分が自分であるための証明⭐︎

こんにちは!!ひこまるです。

ずいぶん昔にお世話になっていた、個人塾の先生から、
「もし時間あるなら手伝って!」と、国語の文章添削をお願いされました。

どうやら、コロナで教室は閉めても、メールで生徒の対応をしているようです。
直接会えないと、文章で人に伝わるように工夫をする必要があり、時間が余計にかかってしまいますよね。
先生は一人で塾で勉強を教えているので、卒業生でかつ今、塾の講師の私に連絡をしてくれました。

もちろんやりましたが、私は文章を書くのが昔から非常に下手なんです、、、

文章が書けない私に文章添削を頼むなんて、

私は、困ったときにすがるワラか何かだったんでしょう(笑)

私が見た生徒さんの文章は、中学生の良い純粋さが表現されていてとても良いものでした。


皆さんは文章を読むのは好きですか??

私は読書好きなのですが、すぐに泣くので、感動系は人前では読めません(笑)


ということは、人を感動させることが物語の役割なのでしょうか??
自分じゃ体験できない遠い世界を体験するためともよく聞きますね。


皆さんだったら、
物語の役割は、何かと聞かれたらなんと答えますか??

ぼんやり、わかるような、でもうまく言えないような、、、


人間は、なぜ物語を必要とするのか??

この疑問について答えてくれる本が、ズバリ、

小川洋子さんの「物語の役割」です!

ストレートなタイトルで、わかりやすいですね(笑)


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物語の役割 小川洋子著 Amazon


小川洋子さんは、「博士の愛した数式」で皆さん、記憶しているかもしれません。

私は、小学生の時に映画をDVDで借りて見ましたが、もう終盤は、泣きすぎて、あんまり内容が入ってこず、同じ日に2回みたほどです!笑
少し前に本を読み返しましたが、爽やかな気持ちにしてくれる素晴らしい本でした。

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博士の愛した数式 小川洋子著 Amazon



本書は、芥川賞作家である小川さんが、大学やホールなどで「物語の意味」について語った言葉を本にまとめた物です。

もう、読み始めてから、小川さんの優しい言葉で描かれる物語の役割について、終始感動をしました、、、

この私の気持ちが、(文章下手ですが)少しでも皆さんに届くように一生懸命書きます。
ぜひ、最後までお付き合いください。


こんな方におすすめ

・小説にあまり馴染みはないが、興味がある方
・ノンフィクションのお話が好きな方
・新たな良書を探している方(本書では、たくさんの本の紹介があります)

120ページの短い本ですので、気軽に読めると思います。

本当に、全員に読んで欲しい!!

まえがき

本書の前書きでは、以下のような導入がされています。

もし他所の星からきた生物が本を読んでいる人間を見たらどう思うだろう、と私は想像することがあります。
小さな箱型の紙の束を手に、ただじっと座っているだけで、あるいは寝転がっているだけで、時折、一枚紙が捲られる以外変化はなく、ただ静かに時は過ぎていく。
一体何の意味があって、人間はこんな地味な営みをしているのか?と。

小川さんは、こう続けています。

その時の人間の心がどれほど劇的に揺さぶられているか、それは目には見えません。効果を数字によって測ることも不可能です。
だからこそかけがえないのだ、自分が自分であるための証明になるのだ、ということをくどいくらいに繰り返し語っているのが、本書です。

小川さんらしい、優しく魅力的な文章で、もうまえがきを読んだら最後、
一気に読み切ってしますはずです!!笑

誰もが物語を生み出している

小説を書き続けて最近思うのは、物語は本を開いた時に、その本の中だけにあるのではなく、日常生活の中にいくらでもあるんじゃないだろうか。
たとえば、非常に受け入れがたい現実にぶつかった時、人間はほとんど無意識のうちに自分の心の形に合うように現実を色々変形させ、どうにかして現実を受け入れようとする。もうそこで一つの物語を作っているわけです。

本書では、物語の意味を問う場面でいくつものノンフィクション作品を紹介しています。

そこでは、ホロコースト文学や子供の事故死などの非常に厳しい現実に直面したお話もありますが、表現されていることは、
「悲惨なことは繰り返してはならない」という簡単なメッセージだけではありません。


本書で登場していた中で、私が印象に残った一つのお話について紹介します。
ノンフィクション作家の柳田邦夫さんの「犠牲ー我が息子・脳死の11日」という本です。

高校1年生の息子の洋二郎は正義感や優しすぎる心を持つせいでクラスに馴染めなくなってしまいます。次第に心を閉ざすようになり、大学は通信教育に進みます。そして、睡眠薬を飲んでも悪い夢ばかり見るようになり、鎮痛剤も効かなくなり、洋二郎はある日、自殺してしまうのです。この時、25歳でした。

脳死になった息子に、臓器提供の話が持ち出され、柳田さんは「どうすれば息子の意に添えるのか」と考え、息子の日記を読みます。

孤独な自分を励ますように「樹木」が人為的な創造物の間から「まだいるからね」と声を発するかのように、その緑の光を世界に向けて発しているのを感じた。

柳田さんは、この息子の日記を読み、懸命に自分を励まそうとして生きようとしていた息子を知ります。
そして柳田さんは「洋二郎の生命を引きついで欲しい」と移植を決意したようです。

洋二郎と現実を結びつけていたのは「物語」であり、
また、柳田さんに洋二郎の死を受け入れさせ、さらに前を向かせたのも「物語」でした。

誰しも生きている限り物語を必要としており、物語に助けられながら、どうにか現実との折り合いをつけているのです。

小説を書くとは

本書では、小川さんが芸術系の大学生にむけてした講演の中で、どのような心持ちで小説作りに取り組んでいるかについても述べています。

言葉で一行で表現できてしまうならば、別に小説にする必要はない。ここが小説の背負っている難しい矛盾ですが、言葉にできない物を書いているのが小説ではないかと思うんです。一行で表現できないからこそ、人は百枚も二百枚も小説を書いてしますのです。

これは、ただ好きな言葉の紹介です(笑)

小説の中で、「悲しい」と書いてしまうと、本当の悲しみは描けない。
悲しいという言葉が障害となって、平坦な文章になってしまうということですね。

言葉を用いた小説で、言葉にならない感情を表現するために、小川さんの文章はどこか、詩のような曖昧な表現なのだと納得できた瞬間でした。

これを、芸術活動を行っている大学生に話したことからもわかるように、きっとこのことは物語に限らず、何かを表現しようとする行為全てに通じる考え方なのかもしれません。

子供が自我に目覚める時

長くなりましたので、最後に物語が子供に与える価値観についての紹介をして終わりにします。

ここまで、「ファーブル昆虫記」と「トムは真夜中の庭で」の2冊をあげたわけですが、それぞれ私は全く正反対の思いを抱きました。
「ファーブル」では、自分は広大な全体の、ほんの小さな一部であると感じ、
「トム」では、自分は他の何もできない特別な一人だと思いました。

これは、とても矛盾している感情な気がします、

しかし、どちらも現実世界で必要な考え方であると感じました。
他の何者でもない自分を尊重しつつ、その上で、何か悪いことが起きても、自分は全体の一部であり、身を任せるしかない時もあると考える。

私は自意識過剰で、その上、怒られてもすぐに自分の物語を作り出し、ケロっと忘れてしまいます(笑)
でもきっと、小川さんの言葉から考えると悪いことではないのかもしれません。

まとめ

本書は冒頭にも書きましたが約120ページの短い本です。
しかし、非常に心に残る言葉が多く、その内容の少ししかご紹介できませんでした。

「博士の愛した数式」を書いた経緯や、小川さんが心に残った物語が非常に多く紹介されており、非常に読んで満足感の得られる本になっております。

ぜひ皆さんも読んでみてください。

長文になりました。ありがとうございました。

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