なぜ私がバイリンガル子育てを広める活動をするようになったのかの話
こんにちは。
バイリンガル子育てを広める人
ヒデと申します。
このnoteでは、
どうして私がバイリンガル子育てを広める活動をするようになったのか、
自分の人生のストーリーを通して紹介したいと思います。
私は北海道の旭川市という人口36万人の街に生まれ育ちました。
どこにでもあるような、特筆することがない普通の家庭。親は教育熱心ではないどころか、ほとんど無関心でした。小学生低学年の時に親が離婚し、選択の余地もなく父側につくことになり、その後は、今で言うとネグレクトに近い状態で育ちました。
そんな環境で育った私ですが、今では結婚し、2人の実子をバイリンガルに育てることに成功しました。子育てをとにかく楽しんでいます。
また、2019年に里親となり、生後7日目から預かっている子どもにもバイリンガル子育てを実践しています。
ここで簡単な経歴を紹介させていただきます。そのほうが、私がどのように英語に関わり、教え、バイリンガル子育てを広める活動に至ったのかが少しわかっていただけるかと思います。
<経歴>
北海道生まれ
2000年: 高専3年で退学 ←制御情報工学科 挫折
2001年: フィリピンの大学に留学(4年間)
2005年: インターナショナルスクールの先生
路上にて傾聴ボランティア「聞き家」主催
→クローズアップ現代に出演
2008年: 結婚直後に大阪移住 牧師業・英会話教室運営
2012年: 長女誕生とともにバイリンガル子育てスタート
2015年: インターナショナルスクール開業
2016年: フリーランスとしてGoogle広告評価の仕事や通訳、英語家庭教師
初受験のTOEICで970点取得。
2017年: 縁があって介護業界の会社員(総務&IT&クリエイティブ業務担当)
2021年7月: バイリンガル子育てを広める活動を開始 (Twitter, note, Youtube, stand.fm)
■Twitter https://twitter.com/Zenryoku_Daddy?s=09
■Youtube https://t.co/k7D8k4sZCj
■stand.fm https://t.co/kKULsAKDhx
※詳しい生い立ちの自己紹介はこちらのnoteにもまとめていますので、よろしければご覧くださいね。
実は、私は決して英語が得意ではありませんでした。
今でもネイティブのように話せるわけではありません。
むしろ中学・高校ではどちらかというと苦手な教科で、赤点ギリギリなんてことも多々ありました。
今みたいにYouTubeやインターネットもない時代でしたので、
英語に初めて触れたのは中学校の英語の授業でした。
その時は、中1でやっとアルファベットから勉強を始めました。
今でも覚えてるMr.森先生の発音。
はっきりとカタカナで「グッドモーニング エブリワン. ハウドゥーユードゥ?」って言ってましたものね(笑)。
しかし、それが私にとっての英語。
この英語をリピートアフターで叩き込まれたのです。
時は少し流れ、高校時代、ニュージーランド人や韓国人の知り合いができ、外国に2度行く機会に恵まれ、様々な文化に触れることができました。
このような出会いや縁がつながり、英語は決して得意ではありませんでしたが、フィリピンの大学に留学することになりました。
フィリピンでは小学校から基本的に授業が英語で行われ、いわゆる国語の時間にタガログ語を勉強します。ですからフィリピン人はレベルの差はあれど、ほとんどの人が英語で日常会話ができます。大学の授業はもちろん英語で学び、英語でレポートを書き、英語でディスカション。
語学留学するのに、フィリピンはお勧めです。治安などの心配の声もあると思いますが、危ないところにいかなけば大丈夫ですからね。英語だけではなく、新しい文化と価値観に触れて必ず世界が広がります。(フィリピン留学についてはいつか別の記事で話しますね)
留学2年目に友達から「1年目のお前はホントに何言ってるかわからんかったよ(笑)」と言われ、その時は笑い飛ばすも、めちゃくちゃ悔しい気持ちを味わいました。苦手なりにも、自分では上手に話せていると思っていたのですから!なんとも恥ずかしい勘違い。
そこで、その日から毎日、アメリカのテレビ番組を見て、耳をもっと英語に慣れさせ、初めてちゃんと英語を勉強しました。授業も「ついていければいい」という態度の勉強レベルではなく、予習して授業に臨むようになりました。その結果、大学は主席(Cum Laude)で卒業することができました。
友達からのあの一言が、私の英語勉強に火をつけたのです。
このnoteが同じように
あなたのバイリンガル子育てに火をつけることを願っています。
大学卒業後は、地元の恩師がスタートさせていたインターナショナルスクールの小・中学部で、3年間先生として務めました。スキージャンプで有名な高梨沙羅選手が在籍していたスクールです。(残念ながら私が教えていた時期の少し後に入学してきたので、教え子とは言えないのですが…)
2008年の結婚直後、これまた不思議な縁があって北海道から大阪に移住。
牧師業をしながら英会話教室を運営することになりました。
英会話教室は1からのスタートではなく前任から引き継いだのですが、生徒は30人ほどで、赤字経営でした。1年で立て直せなければ閉じる覚悟で、自分でウェブサイトを作成し、宣伝し始め、子どもから大人まで生徒を120名まで伸ばすことができました。
そこには私よりも英語のスペシャリストである、妻の功績が大きくありました。妻が担当していたキッズクラスは、口コミだけで生徒が増えていくほど人気でした。
次のトピックにもつながるので、少しだけ妻の紹介。
妻は同じ地元出身で、アメリカの大学で教育学を専攻し、最優秀主席(Summa Cum Laude)で卒業。2年ほどアメリカの高校で教便を取った後帰国し、大手の英会話教室での勤務、中学校などの英語の先生を教える講師などをしてきました。私が経営することになった英会話教室では、キッズクラスとTOEICプライベートレッスンを担当。教えた生徒は次々と目標のTOEICスコアを達成。妻は日本でも最高の英語教師の一人だと私は思っています。
さて話を戻しますが、生徒が増えてきて経営的には順調だったものの、私たち夫婦には、ある葛藤が大きくなっていきました。
それは、
従来の英会話教室の形式では
英語に少し慣れることはできても
英語を話せるようにはならない。
ということでした。
子どもたちは楽しく参加してくれていました。しかし、週1回50分のクラスに幼稚園から通ってる生徒が小学校5年生になっても、会話できるほどには成長せず、中学受験のためにやめていくのを何度も目の当たりにしてきました。
市販教材を用いた従来型のレッスンはそこそこ楽しいし、準備も効率良くできるけれど、本当に価値のある仕事ができているのか葛藤するようになったのです。
2012年に第一子が誕生し、妻は子育てに専念するようになりました。我が家では夫婦で話し合った結果、第一子となる長女が生まれる前からバイリンガル子育てをすることに決めていました。
このことを知った友人が数人、「親子英語サークルをしてほしい」と声をかけてくださり、我が家の子どもが6ヶ月になったころに小さなベビーイングリッシュサークルをスタートしました。
ここから私たち夫婦の英語教育の大改革が始まったのです。
週1回50分のレッスンでは英語はしゃべれるようにならない。
それならば、最初からバイリンガルに育てればいいじゃないか。
私が留学したフィリピンでは、小学生になる頃にはタガログ語と英語のバイリンガルになっています。もちろんほとんどの人はタガログ語の方が流暢です。しかし、コミュニケーションは十分英語できるので、世界の英語人口に含まれています。
英語ネイティブではないフィリピンでできるなら、「日本人が、日本に住みながら、子どもをバイリンガルに育てることは可能なはず!」と信じて進み始めたのです。
そして、このサークル開始とは別に、1年ほどの構想期間を経て、2015年、長女が3歳のときに、私はインターナショナルスクールを開校させました。
スタート時は年少クラス、ベビークラス合わせて10名ほどの生徒が集まりました。しかし、残念ながら母体となっていた会社の経営難により、インターナショナルスクールは1年で閉校することとなってしまいました。
私自身もこの時期、仕事を失うこととなり大きな失望を経験しましたが、フリーランスとして通訳や、イギリスの会社と契約し英語でのGoogle広告レビューなどの仕事をするチャンスにも恵まれました。
スクールは閉校となりましたが、生徒の何人かがバイリンガル教育を「プライベートレッスンでもいいから続けて欲しい」と言ってくださり、我が家での親子英語サークルを開始。今もレッスンを続けています。
親が全く英語ができない家庭もありますし、一緒に学びながらバイリンガル子育てに取り組んでいる家庭もあります。
家庭環境の差、個性による差はもちろんあるものの、みんな英語で Show & Tell (子どものプレゼンテーションの種類の1つ)ができますし、7歳で英検2級に合格した子もいます。
自分の子供だけではなく、親の英語力と環境の違う様々な子どもたちにも、バイリンガル子育てのメソッドは効果を発揮してきました。
ここまで紹介させていただきましたように、
私は様々な英語教育に夫婦で携わってきました。
そして、バイリンガル子育てこそ、
最も効果的な英語教育のメソッドであることを
確信するようになったのです。
私は信じています。
バイリンガル子育てを通して
日本の英語教育を根本から変えることができると。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。