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長蛇のエスカレーター
私には多分他の人よりも
許せていないことがある。
長蛇のエスカレーターである。
人の乗り降りの激しい東京都の駅では、
エスカレーターに1列に
長蛇の列が出来ていることをよく目にする。
ここ最近は、
目にする度にこのように思っていた。
「なぜルールを守っていない人のために道を開ける必要がある。」
(エスカレーターの正しい乗り方は歩かないことである)
「エスカレータを歩いて転んだりしたら大変なことになるだろ」
「一列になるからエスカレーターの入り口部分で人が詰まるんだよ」
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怒りのあまり、
なんとかこの現状を変えられないのかと思い
下記のように考えたこともある。
「エスカレーターに立ち位置のマークをつける。その上で、その位置に立たないとブザーが鳴るようなエスカレーターを設置するように駅に提案するのはどうだろうか」
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だが思い返すと、
このように感じるようになったのは最近だ。
昔はあまり気になっていなかった。
増幅する感情
私がこのように、強い感情を抱き出したのは、多分些細なきっかけだったと思う。
しかし、
今では強い感情を持つに至っている。
このような感情の変遷を振り返ってみると
下記がきっかけだったのではないかと思う。
1:正義感
エスカレーターに一列で並ぶことは駅や
エスカレーター協会から推奨されていない。
それは危険だからである。
私は、このことを自分の都合のいいように
使っていたと思う。
2:思考
私は駅にエスカレーターの変更を
提案することまで考えた。
エスカレーターについて考えることに
時間を割いた結果
「この怒りを肯定したい」
「この怒りを正当化したい」
と固執していた思う。
まとめ
エスカレーターへの強い感情は、
このNoteに吐露することで
少しおさまりを
見せつつあると思う。
そこで感情についての
下記の考察としてまとめたいと思う。
1:自分の都合のいいように増減できる。
例:正義感の傘を着せて、
怒りを増幅させる
例:Noteで何か意味のあることを
表現するために、
冷静になり怒りを鎮める。
2:執着で固定化 / 深化する
例:エスカレータへの怒りの感情は、
私があれこれ考えたその過程で、
手放したくないという
執着が生まれた。
(と思う。)
3:振り返りで、選択できる状態になる
例:Noteにoutputするという
キッカケを得て
自分の感情を第三者の視点から
認識することで
再度感情を選び直せる
状態になった。
エスカレーターの長蛇の列に対しての
私の怒りはおさまりを見せつつあるが、
一列に並ぶことが
良くないことではあると思うので
一度適切な窓口に打診してみたいと思う。