見出し画像

アンメット & アンラーニング

遅ればせながら
「アンメット」というドラマを見た。

第二話

第二話では脳に障害を負った
サッカーチームのキャプテンが登場する

その登場人物は
サッカーの技量と努力量に
個性のあるキャラとして描かれている。

しかし脳の障害をキッカケに
昔の様にサッカーが出来ない状態になる。

努力であらゆることを
無理矢理に乗り越えてきた
その人物には
努力では乗り越えられない壁という
現実を突きつけられる瞬間である。

自分自身のプレーでは
チームに貢献することができなくても
何かチームの為にと考えて
戦術面でチームにアシストすると
切り替える。

第五話

脳に障害を持っている主人公が
手術を手動する立場をやる機会が訪れる。

多くのことに対応する
必要がでてきて
一杯一杯になる主人公

周りを頼る事を
伝えてくれる仲間の存在があり
周りの力をかりてハードルを乗り越える。

自分のキャパシティを超えることへの
対応が迫られたときに、
"頼れる人の存在"と"仲間を頼れる自分"
であることが重要であると
表現されていると思える。

第八話

大学病院で働く医者が登場する。
その医者には地方で開業医をする
父親が存在する。

父親は過疎地医療に対応しており
経営する病院は多額の借金を抱えている。

そんな父に対して息子は
過疎地医療の事業は畳んで
都心の病院との合併を提案する。

一方で、父親は
過疎地医療をやめたら
救いの手が届かなくなる人がいるから
辞められないと反論する。

そんな折、父親が脳挫傷で入院して、
父親の仕事を一時的に引き継ぐ。

そこで父親の視座を実感して
価値観が揺さぶられる。

第九話(一部と全部)

医療においても、
全体と一部という視点がある。
全体は医療界の全体や未来、
一部は個別の患者などを指していた。

全体を見る病院長などは
時に個別の患者よりも
未来や病院の運営を優先する場面がある。

一方で、個別の患者を優先する医者は
時に病院全体に対しては不利な判断を
優先する傾向がある。

双方が各々の正義に対して
盲信的な時、もう一方の視点が
見えなくなることが
描かれていたと思う。

第九話(障害者と非障害者)

障害を抱える兄を持つ医師が、
自分の過去を独白する場面がある。
障害を抱える兄を
障害者施設に入れる決断を
家族がするのだが、

兄は障害者施設に入ることが決まった後に
泣いていたらしい。

障害者を見えないところに
遠ざけていたのではないかと、
当時のことを振り返っている。

ハードル

これらのエピソードから
アンラーニングのハードルの高さが伺える。

各エピソードからアンラーニングの
ハードルとなるのは、
こだわりや強い思いだったりしている。

そしてこだわりや強い思いを
解きほぐすのは、
他者への自己開示や、
こだわりを打ち崩す程の
新しい経験だったりしている。

一方で、
アンラーニングを抑制してしまう
事柄としては強がりが
特徴的に描かれている。

強がりは、
他者からの意見や
新しい経験を
手にする機会を
抑制する傾向にあるのかもしれない。

強がらずに、
自分の弱さをさらけ出せる強さ
が必要だと感じた。

蛇足(障害の境目)

このドラマを見て
もう一点気づいたことがある。
障害者と健常者という言葉から
自分が無意識のうちに
両者を分けていたのだ。

しかし、
人はその人生の中で
体のどこかの機能に障害を抱えることが
往々にしてある。
それは事故だったり、病気だったり、
いろんな要因で起こりうる。

なので
障害者と健常者という
2つの分けられる存在がいるのではなく
ある一人の人の人生の中でも
健常者である時期と
障害者である時期があり

両者は簡単に
分けられない存在であると思った。

いいなと思ったら応援しよう!