自戒

僕が文体に憧れた作家に、森博嗣さんや大塚英志さんがいるのだが、その二人に共通する特徴で僕が好きなものとして、「引用」が挙げられる。
彼らはその著書の中で、他の物語や文献からの引用をよくやる。引用から話が始まって膨らんでいくもの、引用した内容が物語のテーマや真相を暗示しているもの、小説サブタイトルへの流用、等、まぁいろいろある。

何が、と問われると非常に説明が難しいのだけど、とにかくこのスタイルがとても好きだ。なんか格好が良い(説明の放棄)。
引用元に気づいた人なら「この人も同じ本読んでたんだ!」とか「同じところにインスピレーションを得たんだな」とか、思わずニヤリとしてしまうだろうし、知らない人も気になったらそこからリサーチを始めて、作品世界をより深く理解する助けになるかも知れない。「※」印なんて使って脚注を入れたら物語の雰囲気を壊してしまうだろうけど、効果的に引用を使いこなせたら、作品の雰囲気そのままに、程好い補足を加えるだけでなく、物語の奥行きをさらに広げることができると思う。

僕自身、彼らの小説作品から(作品全体からだけでなく、個別のフレーズからも)インスピレーションをもらって精神世界を広げていくことが多々あるので、何かにつけて「このイマジネーションは彼らの作品のおかげなんです」ということを人に紹介(布教?)していけたらと思っている。
はてなブログで乃木坂のヲタ活のことを中心に書いている( https://hide-b247.hatenablog.com/ )のだが、ここでも何度か森さんの小説を引用させてもらったことがある。

ただ、この引用というやつは諸刃の剣だな、という気もしている。

下手をすればパクリとか盗作だと糾弾されかねない。あと、引用する内容や範囲が適切じゃないと、なんでそれを引用したのかが読者に伝わらなくて話の芯がぼやけてしまう。
そして今回この記事を書くに至ったきっかけ。
大塚さんの某小説に使われていたサブタイトルが非常に格好良くて、強く印象に残っていたので、オマージュとしてそれを自分のノート投稿のタイトルに使いたくなった。しかし、よくよく調べてみたら、それは大塚さん自身がある事柄からインスピレーションを得て造った言葉のようだが、元ネタをさらに深く調べてみると、字面から受ける第一印象とはズレがあって、書こうとしているノートの内容とは関連が薄かった(ほぼ無かった)。
ダメだ。これではただの劣化コピーだし、僕が好きだった彼らの作品世界を自分自身で壊してしまいかねない。孫引きだからアウトということでもないだろうけど、そこには大きなリスクが伴うと気が付いた。

話のネタとして引用するなら、その内容をしっかり咀嚼して自分の中に落とし込んでからでないと、全部ぶち壊しにしてしまう。表面的な格好良さや読み易さよりも、やはり自分の言葉で語ることを最優先に考えなくちゃ。気をつけよう。

いいなと思ったら応援しよう!

英丸
もしサポートしていただけたら、本を買おうと思います。心を豊かにして、良いアウトプットができるように。また貴方に読んでもらえるように。