時の結晶
さて...、その中で、
人間の「生」の証しとは、何だろう?
それは、たぶん...、自分の過去に向かった一瞬の夢。
鉄が錆びるように、
人は歳をとる。
子供のままでいることはない。
懐かしいことと、美しいことは、同義だろうか?
(森博嗣 小説「今はもうない SWITCH BACK」)
錆つき一切の輝きを失った古い鉄屑に懐かしさを感じるのは、過ぎ去った時間の具象をそこに見るからだ。
例えば子供の頃に、何かの夢を真剣に追い求めていたとする。大人になってその夢を失くしたとしても、その時の熱は何らかの形で残っている。
或いは誰かに恋をして、それが成就しなくても、貴重な教訓は残る。苦い思い出だったとしても。
その記憶が歳月を経て、錆へと変わっていく。
幸せの形というのは、有って無いようなもので、とても漠然としている。それを追求するのが、人生の大きな目標の一つだろうと思う。ゴールは見えずとも、そこに向かう喜びがある。遠回りだったとしても、無駄ではない。
むしろそういう経験こそが人を強くする。美しくなくたって良い。
ただ、僕には、その錆さえも付かなかったと思える期間がある。
何を追い求めていたのか、何に喜びを感じていたのか、それすら今はもう思い出せない。音の無い自分の映像を傍観者のように眺めて、時間だけがただ過ぎていった。そんな奇妙な感覚。
そんな風に、生きている実感の無い期間があった。
それは無駄とさえ呼べない、ただの空白期間だったように思う。そのことだけが非常に空しくて、勿体なくて、残念でならない。
【idle time】:あいどる-たいむ
エンジンの暖気運転やコンピュータの入力待ちの時間を指すとされているけど、本来は「何もしていない時間」って意味だ。
僕のidle timeは第二の人生の準備期間だったのか、それとも無意味な空白だったのか。
それを判定する方法は、無い。
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