大人と子供のプロシージャ
「大人になるほど、どんどん単純へ向かうんだよ」
(森博嗣「数奇にして模型 NUMERICAL MODELS」)
与えられた材料から答えを導く能力は、大人になるにつれて格段に上がったように思う。それは数学の公式を覚えることや、パズルゲームを解く感覚に似ている。状況を分析して、経験から類推して近似して単純化して、最も適切と思われるロジックに当て嵌める。
でもそれは単に、思考がパターン化しているに過ぎないのではないか?より合理的・効率的に答えを導出できるようになった代わりに、直感力や柔軟性は確実に落ちた。
人に接する時も同様だ。
「この人は何を考えているのだろう?」と思いを馳せているのはただのポーズで、その実、自分の似たような経験に当て嵌めて適当にカテゴライズして、「この人はこう考えているに違いない」と決めつけているだけじゃないのか。
「似ている」ということは、裏を返せば「同じではない」ということ。当然一つ一つのケースで対応は変えるべきなのに、僕の口から出てくるのはおざなりの定型文ばかり。
もちろん、それが一概に悪いというわけではない。
似て非なるものが複数ある時、それらを「本質的には同じ」と見なすか「本質的には違う」と見なすか。どちらがベターかは、それこそケースバイケースだ。でもいずれにせよ本質を見抜くことが出来なければ、より良い判断はできない。
じゃあ、本質を見抜く能力が高いのは、
あるいは、より真理に近付くことができるのは、
いったい大人と子供のどちらなんだろう?
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