「失恋休暇」の必要性
彼女と別れた。正確に言えば、フラれてしまったのである。
昨日は理由もなく外を歩き回っていた。
独りの部屋に帰りたくなかったのである。
事程左様に激しいハートブレイクだった。
しかしながら、こんなメンタル状態でも生活は続くし、目の前の雑事は消えてくれるわけでもない。
今日は土曜日。休日なのが救いだ。
そして俺は、涙目で起床し、涙目でメシを食い、涙目で排泄をし、涙目で洗濯をして、涙目で洗濯物を畳んだ。
ぼんやりと佇んでいても、悲しくなるので、何かしていた方が幾分気が紛れると学んだ。
が、身体は重く、考え事が過ぎて頭も痛く、食も細り、物事へのモチベーションは限りなくゼロに近い。
しかし、生活は続く。
ではどうしたらよいのか。
俺のように仕事も大してしておらず、休みが多い怠け者ならまだしも、仕事に追われている御仁にとっての「失恋」は、仕事・生活への影響も多大なものとなるというのは大いに予想できる。
こんな俺でも、左様なまでに心身に堪えているのだ。
まともに会社勤めをしている方が、もし恋人と「破局」したならば、どんなに生活に影響があるだろう、と。
そこで思った。
世の中には「失恋休暇」というものが必要なのでは
と。
思い出されるのは「福山雅治ロス」である。
福山雅治が吹石一恵との婚約を発表した時、SNSは大荒れだった。
「ちょっと横になる」、「ショックだから仕事休むわ」等々の書き込みが世に溢れたではないか。
確かに、芸能人と一般の我々ではスケールが違うかもしれない。
が、手の届かない芸能人ですら世の中にあれほど影響するのである。
ましてや身近な恋人を失ったとなれば何をかいわんや、である。
これだけ世の中で「生産性」だの、「仕事効率」だの、「ワークライフバランス」だのと言われているのだから、事程左様に人間の身体に影響する「失恋」に対しても無頓着ではいけないと思うのだ。
恋人にフラれた、若しくは泥沼の喧嘩の末に破局した、となれば、生活に与える損害は甚大だ。
こちらはハートブレイクで仕事どころではないのである。
何処かへふらりと消えてしまいたくもなるのである。
というか、フラれた日なんて酒を浴びるように飲むものであるし、手近な壊しやすいものなんて幾つも破壊してしまうのであるし、思い出の品を泣きながらまとめてゴミ箱に放り込んでいたりするのである。
何度も言うが、仕事どころではないのである。
というか、生活どころか、それがきっかけで自殺してしまったりする方もいるというから、まことに「失恋」というのは世の中全体でケアが必要な喫緊の課題なのでは、とすら思う。
そこで「失恋休暇」なのである。
「今日から失恋休暇を取りますので、しばらく私を腫れ物として扱ってください」
失恋したのだ、それくらい言わせてほしいじゃないか。
3日くらいの休暇を与えて、「何処か海の見える場所まで電車に乗っていくといいよ」とか言ってくれれば、どれほど助かることか。
それで、心身の状態を可能な限り正常に戻せばいいのである。
これだけ「メンタルヘルス」が言われている世の中、それくらいの温情があれば、もっと生きやすくなると思うのだが、いかがだろうか。
そんなわけで、あと2日くらい私は「休暇」を取ります。
探さないでください。