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良い「酒飲み」とは

酒飲みという輩は、何かにつけて酒を飲みたがる。


『日本全国酒飲み音頭』という歌の歌詞を見れば言わずともわかる。

例の

「酒が飲める、飲めるぞ~、酒が飲めるぞ~」

というアルコールで脳が浸りきった奴らのテーマソングである。

あの歌詞は、年中行事を取り上げて、その度に酒が飲めると歌っているのだ。

年中行事めでたいね!飲もう!という短絡的な酒飲みの行動原理をよく理解した方が作詞した名曲である。

要は、だ。

酒飲みにとってはあくまで酒を飲むことが主目的であって、そうした行事の醍醐味や情緒なんてのは二の次なのである。

「酒飲み」とはそういうろくでなし共という認識をしてもらってよろしいと思う。

かく言う俺もそうである。

何かにつけては酒を飲んでいる。

春になれば花見。
夏は打ち上げ花火を観ながら。
秋はすれ違う後ろ姿に、面影忍び手酌酒……と、これは河島英五の『旅的途上』の歌詞だった。

だいたい、酒飲みという奴は、酒の力を借りなければ女を口説く勇気もない。俺がそうだからだ。

酒の助力があってこそ、「君が必要だ」とか「愛しているよ」なんて科白が初めて言えるのである。

このように酒には人を陽気にし、大胆にさせる魔力がある。悪用は厳禁だ。


そして、酒飲みの中で、一番厄介な輩が、

普段は物静かなのに、酒が入ると抑えていたタガが外れてしまう奴

これである。

俺もどちらかと言えば、その類だ。

そうした抑制はいわば「バネ」なのである。

普段、抑えている力が強いから、その分跳ねっ返りが強いのである。

酒によって起きてしまう犯罪や事件、事故はこうした跳ねっ返りによるところが大きいように思う。

そして、酒は人の本音、本当の姿を露わにしてしまう。

あなたも人の本当の姿を見たければ、男には嫌というほど酒を奢ってやって、女性にはメイクを落としてもらえばよいのである。


ここまで挙げた酒の恐ろしさを鑑みつつ、良い酒飲みというのはどういう人を指すのだろうと考える。

酒を飲んでも乱れない。
酒をあくまでツールとして活用できる。
喜怒哀楽は普段と振り幅がそこまで変わらない。
最後はしっかりと勘定を支払う(当たり前だ)。


そして、酒が自らの抑制を反発させる力があるという認識をちゃんと持っている方々である。

酒飲みがこういう人達ばかりなら、酒に酔って喧嘩したり、罵り合ったり、我を忘れるまで飲んで、道端に反吐を吐くなんて迷惑行為も少なくなるだろう。

つまり、「いい酒飲み」になるには、酒をきちんと「ドラッグ」として認識していて、危険性を理解した上で、コミュニケーションツールとして「利用」できる度量が求められるのである。

一方で、「大酒飲み」なんて言葉があるが、酒が大量に飲めるなんて、偉くもなんともない。金がかかってしょうがないだけだ。

たいして飲まずに済むのなら、それが一番良い。お財布にも優しい。

大酒飲みは酔えないから、酒を大量に飲む。

飲めれば、飲めるほど、その底は深い。

そして、自分の底を知ったとて、それで抑制が利くものでもない。「そこまでは飲める」と錯覚してしまうからだ。

そして、人によっては依存症まで落ちていってしまうわけで。

ここまで考えてみると、冒頭を否定してしまうようだが、「いい酒飲み」なんて者はいないのかもしれない。

酔っ払って、人に迷惑をかけたり、自暴自棄になったりすることが無い方、酒を飲みながらも人畜無害な方が「いい酒飲み」だからである。

そんな人間、ツチノコに匹敵する度合いで居ないのだ。


だから、「今日は酔ったな」と思ったら、そこでピタッと酒を止められる飲み方、それが一番いい。

それ以外の酒飲みは例外なく、ろくでなしである。

しかし、ひとつ問題がある。

そんなろくでなし共が、酒を飲んでいる時だけは無二の友人のように思えてしまうのも、酒の怖いところである。酔いが覚めたら名前も覚えていないのに、だ。

俺もそうやって勢いだけで交換した連絡先が、片手で数えられないくらいはスマホに入っている。

酒、並びに酒飲みというのは、かくのごとく始末に負えない存在なのである。

この乱文を読んでくださる貴兄も、そんな生き物にならないよう、普段から気をつけた方がよろしい。

こうやって偉そうに言っているが、俺はもう駄目である。

もうすっかり酒飲みという悪しき種類の生き物だからである。

あとは静かに滅んでいくだけ。

と、破れかぶれなことを思うと、また酒を飲みたくなって、つくづく俺はダメな酒飲みである。


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