「仕事を選ぶな。とにかく働け」は呪詛だ
この手の言葉をネットニュース等のコメント欄でよく見かけるのだが、
俺はこうした言葉を大変に嫌悪している。
今の社会がどうにも息苦しく、閉塞感で一杯になってしまっている要因の一つがこうした呪詛に似た言葉であり、こうした言葉を他人に投げかける人、それを許す社会的通念がまかり通っていること、それが恐ろしい。
「就職氷河期」という言葉が叫ばれたことがあった。
社会全体の景気が芳しくない等の原因で企業が新入社員を欲しがらず、結果として企業側が設けた数少ない「新入社員」という椅子を就活生が死に物狂いで取り合う、というような状態を指している。
そうした出来事が起こると、人は、
「会社に入って働かせてもらっているだけでも儲けもの」
「せっかく入れた会社をすぐに辞めるのは良くない」
という考え方になるのは当然と言えば当然。
逆に、前向きに
「この会社に入れたんだ。これからバリバリ働いて出世するぞ」
と考える人もいるかと思う。少ないとは思うが。
会社に入り、荒波に揉まれ、辛苦を舐めながらも長年会社を勤め上げて定年退職へ
これが昭和から平成へ懸けて、特に男性の社会人のモデルケースであったことは疑いようがない。
しかしながら、労働者と企業側のミスマッチというのは往々にして起こりえることだ。
そこで問題になってくるのは
「会社に入って働かせてもらっているだけでも儲けもの」
と考える人たちの一団だ。
多少のミスマッチがありながらも「せっかく入れた会社をすぐに辞めるのは良くない」という思考になってしまった人達、そうした人達から
「仕事を選ぶな。とにかく働け」
という言葉が出てくるのではないか、と推測される。
それは彼らがそうした言葉に囚われた当事者だからだ。
それが「正しい」と思っているからだ。
「俺は、私は間違っていない」と思いたいからだ。
この言葉は「就職氷河期」には尊ばれるのだろうが、そうではない時期にまで蔓延ってしまうのは大変な問題だと思う。
それだけで求職者と仕事とのミスマッチを誘発することにならないだろうか。先人の彼らの後を追う若い世代から職業選択の自由を奪ってしまうことになりかねないのではないだろうか。
この言葉、メリットがあるのは誰か、というところまで考えると、こうした考え方が流行るとヤバい、と思い至る。
それは俺たち労働者ではなく、企業側であり、企業を動かす資本家であるからだ。
与えた仕事に対して、有無を言わず労働してくれる人間というのは企業側にとってはありがたいものだ。
しかしながら、それが成り立つのは、俺たち一個人の尊厳が権利として守られ、仕事とのマッチングが噛み合っていればこそ、だ。
そうでなければ、自分に嘘を吐きながら働かなければならないからだ。
「俺が本当にやりたいことはなんだろう」
「この仕事は俺に向いているのかな」
そうした自分のキャリアに対する至極当然な問いに対しても
「仕事を選ぶな。とにかく働け」
とあなたは言えるだろうか。
全くもって人の人生を蔑(ないがし)ろにした物言いだとは思わないだろうか。
こうした考え方によって、若い働き手が向いていない仕事であっても、とにかく仕事を続けるために仕事をする、という悪い循環へと進んでいってしまうが最大の問題点だ。
それは社会的な損失だと思う。それを生んでいるのが上記の言葉たちだ。
俺がこうした言葉を嫌悪する理由がわかっていただけるだろうか。
「仕事を選ぶな。とにかく働け」
この言葉が流行る世の中、というのは人々が自分の生活のために必死になっていて、他人に対する寛容さを失っている。
そんな世の中は決して居心地のいいものではない。
そして、さらに言うなら。
「仕事を選ぶな。とにかく働け」
という人達は、自分が本当に適している仕事を知らない。
自分の本来の特性を発揮できる場所を知らない。
「置かれた場所で咲きなさい」
という、これまた俺が嫌悪する言葉がある。
自分が置かれた環境、境遇に文句を言っても始まらない、そこで出来ることをして成果(花)を咲かせなさい、くらいの意味だと思う。
「仕事を選ぶな。とにかく働け」という人達は、そこが自分にとって「本当に適した場所」と思って仕事をしているのだろうか。否、そうした自問すらないと思う。
そうした人達から出た
「仕事を選ぶな。とにかく働け」
という言葉に半ば背中を押されて、碌に向いていない仕事に就いてしまったとして、彼らは何も責任を取ってはくれない。
「そんなこと言ったっけ?こっちは仕事で忙しいんだよ。
それどころじゃないんだ」
と冷たく突き放されると思う。そんな自分の会社、仕事、人間関係でいっぱいいっぱいな人達にアフターケアなんて期待するだけ損、というものだ。
どんなに追い詰められても、そうした声に負けてはいけない。
あなたの人生はあなたが決めていいのだ。
世の中の仕組みが気に入らなければ、選挙に出馬してもいいではないか。
ある程度の年齢になれば出馬の権利が認められる。
今はプログラミングスクールも多種多様だ。肉体労働が苦手ならば頭を動かす仕事をすればいい。
プロスポーツ選手だって、日本にこだわらなければ、大人であっても幾らか可能性があるだろう。
大人になっても大学に通うことはできる。
学び直しができる環境は喫緊の課題だ。そのうち絶対に公で議論されてくる。将来的には社会に出た人向けの講座なんかも充実してくるんじゃないか。
だから、一時の世論や頭の固い人から浴びせられた言葉であなたの人生をがんじがらめにしないで、柔軟に生きていってほしい。
というのも、俺はここくらいでしか働けないのかな、とその場しのぎで生きてきて、色々な目に遭ってきたので、せめて俺の後の若者には柔軟で生きやすい世の中で過ごしてほしい、と切に願います。
それでは。