ざっくり戦後日本ポピュラー音楽史⑦
戦後から書いてきて実は一番弱いかもしれない時期がやってきた。この当時よく聴いていた邦楽といえば、THE BACK HORN、The イナズマ戦隊、野狐禅ぐらいのもので、他ははっぴいえんどなどの古い日本語ロックやフォークを聴くぐらいだった。メインで聴いていたのは当時盛り上がっていたロックンロール・リバイバルのバンド群(THE LIBERTINESやTHE STROKESなど)で、UKロックを中心に60年代・70年代のバンドを漁ったりしていた。
とはいえ、学生の頃は同級生の聴く音楽を一緒に聴いたりもしていたし、この頃はまだ世の中に流行りの音楽が流れていたから何となく流れは理解しているつもりなので頑張って書いていく。
時代の空気感
2000年4月から放映された石田衣良原作、宮藤官九郎脚本で堤幸彦などが監督・演出を務めたTBSドラマ『池袋ウエストゲートパーク』(I.W.G.P.)を見ると、ドラマ内での出演者のファッションや持ち物から当時の世相がなんとなくわかる。
同時にドラマにおいては2000年代は宮藤官九郎の時代といっても過言ではないぐらい僕らはクドカンのドラマを見て過ごした。『木更津キャッツアイ』も『タイガー&ドラゴン』も大好きなドラマだ。
『I.W.G.P.』の主題歌だったSADS「忘却の空」の乾いた感じが時代の空気やドラマに合っていたのはもちろん、視聴者の中心層だったであろう僕らの世代にとってボーカルの清春は黒夢時代の「少年」や「MARIA」などで馴染んでいたのですんなりと受け入れることができた。
結局訪れなかった世界の終わり(ノストラダムスの大予言)の喪失感。どんどんと不景気になっていく世の中とケータイで繋がることはできても不安や孤独感は拭えないといった今にして思うとナルシシズムに傾いているようにも見える感覚がこの時代には確かにメインストリームにも流れていた。
その空気を察知して若い女性を中心に人気を集めたのが前回も少し触れた浜崎あゆみだった。
彼女の書く歌詞世界は喧騒の中で孤独を感じ、過去を振り返りながらどうにか希望を探そうとする思いのようなものを感じ取ることができる。多感な時期の少女の心に寄り添う歌だったのだろう。
90年代末からはじまった流れの着地
日本語ラップ
80年代から萌芽はあったものの、アメリカから10年ほど遅れてメジャーシーンにおける流行の兆しを感じさせた日本語ラップがヒップホップシーンを飛び出して本格的に売れ始めたのは2000年代に入ってからだろう。
RHYMESTARやキングギドラが耕してきた土壌からRIP SLYME、KICK THE CAN CREW、ケツメイシなどが芽を出しチャートを賑わせるとともにテレビのバラエティー番組や紅白歌合戦への出演、日本武道館での公演の成功などによって一気に日本語ラップの知名度を上げる。
その流れには90年代J-POPの女王である安室奈美恵も合流。ルーツであるダンスから一つの流れが完結するような美しさがあった。
路上からメジャーへ
97年のミニアルバム『ゆずの素』でデビューしたゆずの影響力は絶大で、アコースティックギターを抱えたアマチュアミュージシャンが全国各地の路上に現れた。ゆずのデビュー後すぐに登場したコブクロやうたいびとはねの影響も大きかった。
テレビ朝日系列で2002年1月から深夜に放送されていた『ストリートファイターズ(THE STREET FIGHTERS)』という番組では全国の路上で演奏するアマチュア~セミプロのようなミュージシャンが毎回取り上げられ、HYやサスケといった路上ライブ出身のアーティストはアマチュアミュージシャンにとってひとつの目標となった。
邦ロック・ロキノン系
音楽雑誌『ROCKIN'ON JAPAN』で特集を組まれるようなバンドたちを指す俗称ではあるが、この当時インディーズシーンとメジャーシーンを行き来するようなかたちで人気を誇ったバンド群を指すものとして考えると、
ASIAN KUNG-FU GENERATION
GRAPEVINE
ストレイテナー
フジファブリック
音速ライン
NUMBER GIRL
サンボマスター
などが挙げられるだろうか。
僕個人としてはよく聴いていたバンドもいればそうでもないバンドもいるが、当時はそれほど興味がなく、どちらかといえば後年YouTubeなどで再発見するようなバンドが多い。若い時代というのは狭量なもので、他人の表現に対して寛容になれてからの方がこの時代のバンドの曲を聴いている。
アイドルの復活
97年テレビ東京『ASAYAN』のボーカリストオーディション落選組で結成されたモーニング娘。は98年メジャーデビュー。その後、新メンバーの加入や卒業を経ながら現在までグループは存続している。
そんなモー娘。のセールス的な最盛期も2000年代だった。99年の後藤真希加入と「LOVEマシーン」で勢いを得たグループは2000年以降「恋のダンスサイト」、「ハッピーサマーウエディング」、「恋愛レボリューション21」などヒット曲を連発。現状最後のメジャーで成功したソロアイドルである松浦亜弥や藤本美貴、Berryz工房、℃-uteなどによるハロー!プロジェクトの面々は一時代を築く。
モー娘。の出現は、90年代に出現したMAXやSPEEDといった強靭なバックボーンを持つガールズグループからの転換でもあった。当然レッスンは重ねているものの実力派とは言い難い少女が成長していく姿を見せるという今日的な日本のアイドルとして生まれたグループだ。その彼女たちが現在ではメジャーアイドルシーン随一の実力派というのは物語として非常に面白い。
2005年には秋元康プロデュースのAKB48が結成され、その後2010年代半ばまで大暴れすることになる。そしてそれは音楽チャートを破壊することになり批判の対象にもなった。
その他
2000年代初頭は演歌が盛り返した時期でもあった。その要因はなんといっても氷川きよしの登場だろう。「箱根八里の半次郎」でのデビュー以降、そのルックスと歌唱力で分かり易く人気を得ていった。彼の活躍により演歌・歌謡曲的な音楽に再び光が当たると、前年に発売されていた大泉逸郎「孫」や水森かおり「鳥取砂丘」、08年のジェロ「海雪」まで勢いは続いた。
他にはEXILEのデビューやジャニーズグループの乱立もこの時期だ。
最後に
個人的にはこの時期の音楽にはそれほど思い入れがない。特にメジャーシーンで流行った音楽に関しては、サザンやミスチルといった以前から活躍するバンドのもの以外にはそれほど興味をひかれなかったというのが正直なところだ。なんだかやたらと誰かに感謝していたなというのは覚えているけれど。
それでも上述のバンドたちやスキマスイッチ、BUMP OF CHICKENなどは当時から継続して今でも聴くことがあるし、大いに影響を受けてきたと思う。
なにせ僕にとって思春期から青年期に当たるのでいろいろと複雑な感情はある。メジャーの空気感に最も反発していた時代であるし、時代の磁場から離れられないような苦しみもあったのだ。