ざっくり戦後日本ポピュラー音楽史④の2
前回は70年代のフォークやロックを中心に語ってみた。60年代半ばからの関西フォークが勢いを失い、社会運動との関りを薄めて個人を歌ったよしだたくろうや井上陽水らの登場、時代との共振についてだったり、ニューロック、はっぴいえんどなどの登場とちょっとしたその後についてざっくりまとめたのだが、今回は70年代後半戦。表舞台の歌謡界のことを語ってみる。
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歌謡曲の時代
レコード大賞
戦前から活躍していた古賀政男と服部良一を中心に1959年に創設された『日本レコード大賞』が最も影響力を持っていたのが70~80年代だ。
やらせ報道や買収問題によって地に落ちた感のある賞だが、毎年大晦日にはNHKの『紅白歌合戦』の放送開始の前にTBS系列で放送されていた『輝く!日本レコード大賞』は僕の子供時代にはまだまだ権威があった。レコ大の会場から紅白へ向かう歌手の中継があったこともなんとなく記憶に残っている。
映像を見ると、豪華な舞台とバンドによる生演奏による迫力、各賞にノミネートされた歌手が会場で見守る姿など、ザ・芸能界という雰囲気で当時の予算規模の大きさを感じることができる。
華やかな時代を駆け抜けた沢田研二が吉田拓郎との対談番組で「結局事務所間のパワーゲームだ」といった趣旨の発言をしていたことからもわかる通り、裏でのやりとりから受賞が決まることは大体の国民がわかっていたことだろうが、それでも面白がれる余裕が過去にはあったのかもしれない。
70年代の大賞受賞曲は以下の通り(編曲は言及されていない限り作曲家の手によるもの)。
第12回「今日でお別れ」菅原洋一(詞・なかにし礼/曲・宇井あきら/編・森岡賢一郎)
第13回「また逢う日まで」尾崎紀世彦(詞・阿久悠/曲・筒美京平)
第14回「喝采」ちあきなおみ(詞・吉田旺/曲・中村泰士/編・高田弘)
第15回「夜空」五木ひろし(詞・山口洋子/曲・平尾昌晃/編・竜崎孝路)
第16回「襟裳岬」森進一(詞・岡本おさみ/曲・吉田拓郎/編・馬飼野俊)
第17回「シクラメンのかほり」布施明(詞・小椋佳/曲・萩田光雄)
第18回「北の宿から」都はるみ(詞・阿久悠/曲・小林亜星/編・竹村次郎)
第19回「勝手にしやがれ」沢田研二(詞・大野克夫/曲・船山基紀)
第20回「UFO」ピンク・レディー(詞/曲・都倉俊一)
第21回「魅せられて」ジュディ・オング(詞・阿木燿子/曲・筒美京平)
こうして見ると第20回(78年)のピンク・レディー以外はソロ歌手ばかりで、そのほとんどが別れを歌った歌詞であることがわかる。哀しい女心を歌ったものから爽やかささえ漂う歌、そして永遠の別れとそのバリエーションが豊富なのも面白い。
何よりも歌手本人による自作自演の楽曲がひとつもないことから、いわゆる歌謡界の秩序の上に成り立っていた賞であることが如実にわかる。
夜のヒットスタジオ
レコード大賞は年に一度のお祭りのような特番だが、週1回のレギュラー放送の番組として当時から人気を集めていたのが『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)だ。68年から90年まで放送されたこの番組には多くのアーティストが出演している。
現在ネットにあがっている映像などを見るとシンプルなセットながらバンドもいて芳村真理や井上順の司会も軽妙で面白い。番組冒頭の出演歌手によるメドレーリレーなどは現在の音楽番組では難しい演出かもしれない。
僕がリアルタイムで見てきた『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』、『うたばん』などの芸人がホスト役を務めるトークをメインに据えた音楽トークバラエティよりも品があるのが個人的に気に入っている。昔の形とはだいぶ様変わりしたが現在も放送を続けている『ミュージックステーション』に近い。
アイドル歌謡
日本におけるアイドルの元祖としてはムーランルージュ新宿座で活躍した明日待子があげられるが、あどけなさや不完全性、身近な存在感などを売りとする今日的なアイドル文化が開花するのが70年代だ。小柳ルミ子・南沙織・天地真理の「新三人娘」にはじまり多くのアイドル(アイドル的存在含む)が登場した。
なかでも71年から83年まで放送されたオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ)からは多くのアイドルが誕生した。
森昌子・桜田淳子・山口百恵の「花の中三トリオ」、「イルカにのった少年」の城みちる、現在は女優として活躍する片平なぎさや本格的な歌手として姉妹で成功した岩崎宏美、ピンク・レディーなどが70年代にデビュー。80年代に入っても柏原芳恵や小泉今日子、中森明菜などを輩出した。
スクールメイツ出身のキャンディーズ、子役出身の麻丘めぐみ、個人的には『釣りバカ日誌』のイメージが強い浅田美代子など、他にも多くのアイドルが時代を彩った。
男性アイドルでは、郷ひろみ・野口五郎・西城秀樹の「新御三家」や僕らの世代にはネタ化してしまっていた川崎麻世なども70年代にデビューし人気を博した。
この「新御三家」の一角である郷ひろみを起点に80年代から現在に至るまで続く流れが形成されたのではないかと個人的には思っている。60年代に設立され初代ジャニーズ、そしてフォーリーブスをヒットさせていたジャニーズ事務所の存在があったからだ。このことからジャニーズ事務所及びジャニー喜多川がいかに芸能の世界に奥深く食い込んできたかを垣間見ることができる。
2000年代後半から2010年代半ばのいわゆるアイドルグループ乱立期や現在のK-POPアイドルと違う点でいえば、やはりダンスの少なさ・地味さと歌の確かさに特徴があるように思う。なかには天地真理や浅田美代子などの例外も存在するが、今のK-POPがダンスにおいてそうであるようにデビューまでにしっかりと歌のレッスンを積むという文化がこの当時までは存在したようだ。80年代のことだが、松田聖子は歌が下手だと言われていたらしいと聞いて驚いたことがある。
新しい音楽
ユーミンの登場
フォークの熱が冷め、より個人的なことを歌う時代になって登場したのが72年デビューの荒井由実(松任谷由実)である。
高校三年で作曲家として活動をはじめた早熟な呉服屋の娘である彼女が描いて見せた世界は、同時期のフォークとは違い煌びやかだった。
中学時代には麻布キャンティに出入りしていたという彼女自身のスタイルや生い立ちによるところが大きいだろうが、それまでのソングライターが抱えていた「故郷」を彼女は持っていなかったのではないかというのがユーミン楽曲を聴いて抱く僕の感想だ。だからロンドンやニューヨークと同じように東京という街を輝かせることができたのではないだろうか。
当時放送がはじまっていた深夜ラジオから流れるユーミンの曲は一般的なリスナーにとってかなり新しく響いたっであろうことは想像に難くない。
なにせデビューアルバム『ひこうき雲』から元はっぴいえんどの細野晴臣らのバンド、キャラメル・ママと作っているのだから驚きだ。それだけの人脈を19歳の少女が持っていたのが単純にすごい。
その他のアーティスト雑感
ユーミンがそうであるように、75年デビューで大貫妙子や山下達郎らのバンドであるシュガー・ベイブ、『ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)』出身の八神純子や上田正樹など、70年代半ばから後半にかけて登場するアーティストにはそれまでのソングライターが抱えていたコンプレックスを感じない。
時代は高度経済成長からオイルショックを経て公害が公になった時代でありながら暗さがない。これはポップソングを若者をターゲットにした音楽と定義するならば当然のことだったのかもしれない。この当時の十代は学生運動にはほとんど参加していなかったしらけ世代と呼ばれる世代であり、目の前で社会運動の失敗を見せられた彼らは、テレビに映るアイドルを見るか、音楽に興味を持つにしても前の世代のように社会との軋轢や問いかけなどは必要としない世代だ。
78年には現在日本で一番有名なバンドであるサザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」でデビューしている。この頃の『夜のヒットスタジオ』出演映像がYouTubeにあるので是非見てもらいたい。
桑田佳祐の大きな功績のひとつが日本語でロックを歌うときの歌唱法だ。歌詞は日本語と英語のチャンポンで日本語部分もはっきりと発音しない、世の中のおじさんたちがよくモノマネするあれだ。
バンドとしての成功や桑田佳祐ソロ作品における私小説性など、大きな成功を収めた日本のアーティストとしては語ることが多い人たちである。
最後に
前回扱ったフォーク、ロックの流れと今回の歌謡曲とニューミュージックなどについて、どちらがより社会的に売れていたかといえばそれは歌謡曲だろう。では歌謡曲が大衆に受けるつまらない音楽かといえばそんなことはない。時代が進んでも何度も歌謡曲ブームはきているし現在に生きる僕らの胸を打つような楽曲が量産された時代だといえるのではないだろうか。良質な作詞家や作曲家がフリーで活躍した時代でもあった。
また、フォークもロックも結局はそのほとんどが歌謡界的な秩序の中に回収されてしまうことから歌謡界の磁力の強さを感じることができる。
しかし、第12回のレコード大賞受賞作「今日でお別れ」や、2年連続でオリコン年間1位を獲得した宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」、殿さまキングス「なみだの操」など、当時としても時代錯誤甚だしい内容の歌詞がつけられた曲が大ヒットした時代でもある。よく言えば大らかな時代だったともいえるが女性にとってまだまだ窮屈な時代だったのだろうということはテレビドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS)を見ても容易に想像できる。だからこそユーミンは新しかったのだ。