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ざっくり戦後日本ポピュラー音楽史⑤

ここまで第二次世界大戦以降の日本におけるポピュラー音楽について本当にざっくりとしたまとめを書いてきた。実はかなりの抜け(中島みゆきとか)があることに気づいてはいるが、とりあえず勢いがあるうちに書ききってしまいたいと思って放置している。

前回までで一応1970年代までが終わったので、ようやく自分が生まれた時代に追いついた。とはいえ物心ついて音楽を意識的に聴くようになるのは90年代からなので80年代はまだ後追いの映像と伝聞部分が多い。


歌謡曲の終わり

アイドルの時代

80年代は歌謡曲最後の時代でもある。90年代からポピュラー音楽の通称はざっくりJ-POPになり音楽性も変化していく(演歌などが排除されていく→細分化)。
70年代を牽引したアイドル歌手の一人である山口百恵の結婚・引退が1980年10月、その年の4月にデビューしたのが松田聖子である。
この二人は70年代的なものと80年代的なものを比較する際にもしばしば引用される。学生たちの挫折やオイルショック、公害問題などの暗い話題も多かった70年代から、シンセサイザーの音が軽やかに鳴り響く80年代への転換が起こった。裏には戦略があったにせよ、可愛い「ぶりっこ」として現れた松田聖子はその象徴のひとつだったのではないだろうか。

前回の記事でも触れたとおり、『スター誕生!』からも多くのアイドルが生まれているが、なかでも取り上げるべきは中森明菜だろう。松田聖子と人気を二分した時代のことは、後に当時からのファン(マツコ・デラックスなど)が語る姿を何度も見た。
圧倒的な光で輝きを放った聖子に対し、どこかに70年代の陰を纏った雰囲気を持つ明菜という陰と陽の対比は、その後のアイドル史においても継続されている気がする。

80年代といえばポストモダンの時代であり、その思想を背負ったかのように登場したアイドルが小泉今日子だった。彼女は自ら意志を持ち行動することによって結果的にアイドルという存在を脱構築していく。

テレビ局の企画としてはじまり、AKB48など現在の大手グループアイドルの雛型にもなったおニャン子クラブの結成からブレイクによってアイドルの歌手としての質は一気に低下する。なかには工藤静香のようにソロ歌手として成功する例もあったが、本格的なソロアイドルは2001年の松浦亜弥登場まで待つことになり、それ以後生まれていない。

男性アイドルでは79年~80年に放送された『3年B組金八先生』で注目を集めたたのきんトリオ(田原俊彦・野村義男・近藤真彦)が元気でやんちゃな男の子のイメージを纏わせてそれぞれデビュー。個人的にはアイドル云々よりも浜崎あゆみの後ろでギターを弾いているイメージの強い野村義男以外の二人は80年代もっとも成功した男性アイドルだろう。
中森明菜らと同じ「花の82年組」のシブがき隊や85年デビューの少年隊、87年デビューの光GENJIなど、振り返ってみるとほとんどジャニーズ一色という状態だ。つまりこの当時には既に芸能界・テレビ業界の深くにジャニーズは食い込んでおり、海外からの報道という外圧による変化を迫られるまで連綿と続いてきたし、我々日本人はそれを見逃してきた。


ウキウキさせる音楽

それまで日本の音楽界ではあまり見られなかったドゥーワップを強調した音楽でシャネルズ(ラッツ&スター)がデビューしたのが80年2月、そのデビュー曲「ランナウェイ」はミリオンセラーを記録する。様々なトラブルや事件がありながらもリーダーの鈴木雅之は今でも活躍を続けている息の長いプロの歌手だ。
この年には前述の松田聖子のデビューもあったし、山下達郎が「RIDE ON TIME」をリリースしたのもこの年だ。
事実ではなく印象として、なんだか深いことはひとまず置いておいてウキウキしてくるような軽快さを感じる音楽が流行してきたような気がする。後追い世代の自分からするとバブルのイメージが強すぎるのかもしれない。


バンドブーム

ビートロックと呼ばれる縦ノリのサウンドを基調としたバンドBOØWYがアルバム『MORAL』でデビューしたのが82年。ここを起点に90年代初頭まで、多くのバンドがインディーズ・メジャー関係なく登場した。現在も人々から聴かれ続けるバンドも消えたバンドも沢山いた。
特に80年代半ばから後半にかけては、ザ・ブルーハーツ、米米CLUB、プリンセス プリンセス、Xなど、メジャーシーンにおいても一定以上の大きなインパクトを残すバンドが大量に現れた。同じバンドブーム期のバンドとして並べるにはその音楽性やスタイルや思想に至るまで違いがあまりにも大きいのは留意すべき点で、バンドというフォーマットの上に乗っているだけで多様なあり方が許容された時代だった。

89年2月に放送が始まった『三宅裕司のいかすバンド天国』(イカ天)からも多くのバンドが登場し、BIGINや浅井健一(BLANKEY JET CITY)など現在も影響力のあるバンドも多数出演していたが、目立ちたいだけの輩もいただろうし、本当に玉石混交のカオスだった。時代丸ごとそうだったともいえるかもしれない。

ただ、この時代のバンドを少しでも深堀すると面白いのでお勧めしたい。


その他の個人的に気になる音楽

玉置浩二率いる安全地帯やチェッカーズなど、バンドの形態をとりながらも歌謡曲の要素を取り入れメジャーで活躍するアーティストもいた。
70年代後半からの流れから引き続いてユーミンやサザンオールスターズも活躍していたし、松山千春や長渕剛など遅れてきたフォークシンガーたちの活躍もあった。

当時の若者から熱狂的な支持を集めた尾崎豊が活躍したのもこの時代だ。僕らの世代では既に過去の何かになってしまっていたし、2000年代に入ってからは完全にネタ化してしまった。いわゆる「他人のバイク盗むなよ」とか「窓ガラス割るなよ」というあれだ。しかし、「I LOVE YOU」はこれまで多くの人にカバーされているし、何度も再評価されているアーティストでもある。


受け手のスタイルの変化

MTVの登場

81年にアメリカで開局した音楽チャンネル『MTV』によって映像と音楽は切り離せないものになった。
MTV以前にもMVは存在したが、24時間様々なアーティストのMVを流し続けるMTVの登場によってポピュラー音楽にとってMVはほぼ必須のものになった。YouTubeなどで再生数を競ったりTikTokなどでバズらせるという感覚もMTVの登場から始まった。

日本においてMV(かつてはPVと呼ぶのが主流だった)が流行しだすのはアメリカから少し遅れたが、80年代半ばから後半にかけて発展した。85年生まれの僕にはMVがあることが当たり前だった。『CDTV』でランキングが流れると次々に切り替わるMVの映像を見るのが当たり前だった。
他にも10代半ばになって能動的に音楽を聴くようになるとタワーレコードなどのCDショップに行けば売れているバンドの新しいMVが繰り返し流れていたし、スペースシャワーTVなども衛星放送が入る友達の家で見ていた。


ウォークマン

79年にソニーが発売したウォークマンによって音楽を手軽に持ち運べる時代が到来した。値段の関係によって爆発的に流行するのは80年代に入ってからで、カセットテープに吹き込んだお気に入りの音楽をいつでもどこでも聴けるという革新性は世界中で流行するのに十分だった。
82年にCDは登場していたが、86年にレコードとの売り上げが逆転するまではまだまだ新興の記録媒体だったし、84年のCD対応機も音飛びなどの問題があった。その後の他社製品の充実やカセットからMDへの移行などもあったが、デジタルオーディオプレーヤーのiPod・iTunes登場によってシェアを奪われるまでは主流のポータブルオーディオプレイヤーだった。

僕個人の思い出としては、路上ライブの度に同じソニー系列のアイワから出ていたカセットテープレコーダーで録音していた。再生と録音の赤ボタンを同時にガチャンと押すあの感覚が懐かしい。


最後に

80年代について語るということは、日本においては昭和という時代の終わりについて語るということとほぼ同義だ。大きな戦争を挟んで苦労しながらもなんとか経済的な復興を果たした日本という国と昭和の歩みは89年1月7日に終わる。
平成に入ってはいたが89年6月には戦後の歌謡界において伝説となった不世出の天才歌手美空ひばりが死去。その2年前には石原裕次郎も亡くなっている。
天皇という存在だけでなく、エンターテインメントにおいて日本人を支えてきた人々を続けて失ったことは同じ時代を生きてきた国民にとって大きな出来事だったのではないだろうか。
他にも89年は手塚治虫、松下幸之助、開高健など、各分野において突出した業績を残した人物が多く世を去った。このことを考えるとき、僕はいつも彼らは敗戦から立ち上がる日本人を鼓舞するためにこの世につかわされた天使のような存在だったのではないかと、そんなロマンチックなことを考えてしまう。

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